2006年10月アーカイブ

恐怖の宴会

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飲み始めて4時間経った頃、玄関で声がしてそのまま勝手に上がって来て私たちが飲んでいる部屋のふすまを開けて入ってきたのはT講師でした。
30歳過ぎのT講師はF教授の飲み仲間だったのです。
仕切り直しで4人の宴会が始まりました。
救いは新しい人が来たので3回目の肴が来たことだけでした。
でもその皿の上に食べ物があったのは2,3分の間だけでしたけれど.........
教授も講師も煙草は何とエコーでした。
学生でエコーを吸っている者はいかに貧乏立命といわれる私たちにも殆どいませんでした。
でも煙草が切れるとエコーを買ってきてくれと云われ、私たちだけハイライトを吸うわけにもいかず皆でエコーを吸いました。
エコーを吸っているうちに喉がおかしくなってきました。何か喉につっかえたような感じで変なのです。

合成酒と安煙草と空腹のトリプルパンチと戦って7時間が経ちました。(午後6時)
電話が鳴り教授が「おお、来い。」と誰かに云ってましたが酔いと頭痛と喉の痛みと空腹でもうろう状態の私にはどうでも良いことでした。
しかし10分後入ってきたのは何と今度は学部長でした。
学部長から色々話しかけられ緊張で酔いは吹っ飛んでいきました。
単位取得に四苦八苦していた私は学部長に就職も決まっているので何とか卒業させてくださいと必死でお願いしました。
学部長はにやにやしながら「まあ追試の1つぐらいは受けた方が思い出になるぞ。」とのたまわれるのでした。
恐怖の宴会が終わったのは日付が変わった午前1時でした..............
14時間の拷問は翌日曜日の存在を私の人生から奪い去ったのです。

月曜日、大学の学生課へ入室したとき奥の方へ学部長が偶然おられ、瞬間目が合いました。
学部長は私を指さし周囲にいた職員達に大きな声で「あの学生がさっき話した、Fさんの家で14時間飲んだ奴だ。」と言い放ったのです。
私はその部屋から跳んで逃げました。



安酒

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学生時代、ゼミのF教授には色々とお世話になりました。
1回生の時、何気なく選んだ政治思想史の担当でした。
とっつきにくそうな無愛想な教授でしたが何となく惹かれるところがあり、
政治にも興味があったので3回生でゼミを選択するときに迷うことなくF教授のゼミを志望しました。
この選択は大正解?でした。

先ず一つ目は少人数(7人)のゼミだったことです。
この教授の人気の無さと人数を増やすことに全く興味の無い性格の為せる技でした。
おかげで毎週のゼミに出てくるのは多くて4〜5人、少ないときは2人でした。
ですからゼミは勉強というよりも雑談のようなものでした。

二つ目は私がにらんだ通り、大がいくつも付くような酒飲みだったことです。
土曜日の2講目がゼミでしたが私と友人の2人しか出席しなかったとき、教授が「今日はこれで終わりだからゼミはウチでやろう。」と云われ自宅へ招待して頂きました。
この事があんなに恐ろしいことになるとはその時夢にも思いませんでした。

2講目というのは午前中の後の方でそれが終われば昼食です。
貧乏学生の私たちは当然ながら朝食抜きで昼食を心待ちにしていました。
教授の家に着いたのは11時過ぎでした。
部屋に入るとすぐ教授が一升瓶を持って入って来られ、嬉しそうに「この酒は安いんだ。」と云われました。
見ると何と生協が出している酒で値段は600円だそうです。
貧乏学生の私たちでさえ普通の2級酒を900円ぐらい出して飲んでいるのに
学部長になるのを厭がり(忙しくなると酒を飲む時間が減るから)逃げ続けている60歳前の教授が合成酒を飲んでいるとはただびっくりするだけでした。

さてその酒をコップについで飲み始めると教授の奥さんが軽い酒の肴を持ってきてくださいました。
空腹の私たちは瞬くうちにそのつまみを食べましたが、教授は殆ど食べず、しゃべって飲んで満足そうでした。
空きっ腹に安酒がこたえて、私は恐る恐る「先生はあまり食べられないんですね。」と云うと「ワシは飲み屋でつまみは?と聞かれたら鼻をつまんで飲むと云うんだ。」と得意げに答えてくださいました。
奥さんも酒飲みを充分理解?されてかその後何も持ってきてくれません。
やけになって飲んでいると3杯飲んだ頃から頭痛がしてきました。友人にそっと云うと彼も痛いと云います。
安酒の力は素晴らしいと感じました。
2時間経った頃、やっと次の肴が出てきました。
これもすぐ無くなり本当に焼け石に水でした。

この続きは次回のお楽しみ



人生劇場

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主人公の名は青成瓢吉、名前から受けるイメージとは全く違い、壮大な人生を描いた小説です。
吉良上野介の領地であった三州吉良から始まり中国大陸も舞台となります。
田舎の名士であった父親瓢太郎が没落していきながらも毅然としていた姿は、
今では否定されている家父長制度やブルジョワジーにもそれはそれで良い面もあり
又当事者のそれがための苦悩や努力も表れていました。
青春篇から始まる長編小説は五木寛之の青春の門にも多大な影響を与えていると思われます。
青春の門ほど簡単には読めませんが青春の門を読んだことがある方には是非一読されることをお勧めします。



若い命

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本日、葬儀に参列しました。
知人の息子さんが21歳の誕生日に突然心臓麻痺で逝ってしまいました。
同じ町内で小学生の時から良く知っている子です。
私の住む町内では男子はソフトボール、女子はポートボールチームに入るので子供達は学年の壁を越えて仲良くしていました。
夏には男女一緒に親も同行して2泊3日のキャンプを楽しみました。
彼は釣り好きの真面目なおとなしい子でした。
高校卒業後大阪の専門学校へ進み、そこの寮の部屋で一人で誰にも気付かれることなく逝ってしまったのです。

葬儀には今までも比較的出る機会があったのですが、親族以外でこんなに辛かったのは初めてです。
こんなに若い人が逝ってはいけません。
葬儀は亡くなった方のためよりも残された方のためにするものだと私は思っているのですが、
残されたご両親、ご祖父母にはむごすぎます。
順番が違います。
心の準備もできていません。

ご両親には向かい合っても言葉が出ませんでした。
お悔やみの言葉が一言も出せませんでした。

親より長生きするのが最高の親孝行だと改めて感じました。



清酒

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清酒(日本酒)の販売量が落ち込んでいるそうです。
30年前の約半分だそうです。
当然と言えば当然でしょう。

理由はいくつもあると思います。

1.若い人が飲まなくなった。
   30年前と言えば私の学生時代。
   仲間と集まってはしょっちゅう酒盛りをしていました。
   一升瓶を空にしながら徹夜で議論をしていました。
   こういう姿はお洒落で無く今の学生は殆どしないようです。
   (一気飲みのような勿体ない飲み方は昔はしませんでした。)
2.焼酎が広く飲まれるようになった。
   昔は焼酎は九州で飲まれるのが殆どでした。
   本州では安いので貧乏人が飲むものというイメージがありました。
   (本当は体にも良く酔い覚めも良いので隠れ焼酎ファンはいました。)
3.日本酒メーカーの怠慢。
   利益優先主義からか醸造用アルコールをふんだんに使って原価を抑え、
   味では無くCMの力や景品で売ろうとしてきました。
   瓶の色やデザインに凝って若い女性に売り込もうとしたりして
   美味しい酒を安く売ろうという気概が見られません。

蔵元もどんどん減っているようです。
ドイツのビール、フランスのワイン、英国のスコッチ等
どこの国も国家が厳しい基準を設け品質を守りつつ
メーカーを育成しているのに日本ではどうだったでしょうか。

今は廃止されましたが以前は2級酒、1級酒、特級酒というような区分けがありました。
これについて殆どの人が上になるほど良い酒だと思っていました。
確かに2級よりは1級、1級よりは特級の方が値段が高かったからです。
でもこれには裏があり、メーカーが何も申請しなかったらすべて2級なのです。
メーカーがこの酒は1級で売ろうと思い申請したらまず審査を通ります。
なぜならその方が支払う税金が増えるので国税庁が拒否するはずが無いからです。
ですから有名メーカーの1級より地方の蔵元の2級のほうがおいしいというようなねじれも
当然起こりました。
このような曖昧な基準だから問題が起こって当然です。
そしてこの区分が廃止されても大手メーカーが2級を佳撰、1級を上撰、特級を特撰と言い換えたら
他メーカーも右へ倣えという、本当に何とも言えないような業界体質を見せてくれました。

日本酒をこよなく愛する者として日本人が世界に誇れる清酒文化が発展していく事を
願ってやみません。



広島出身の私ですが、子供の頃は巨人ファンでした。
これは確実にマス・コミのせいです。
忘れもしません、月刊誌小学3年生の付録にボールのマークが50個ずつ書いてあるスタンドが2つ入っていて、王と長嶋がホームランを打ったらボールを塗りましょう、とありました。
それまでプロ野球を見たことが無かった私ですがその年は必死でナイターの巨人戦を見て、2人がホームランを打ったら大喜びでそのスタンドのボールを塗りました。
そしてその年の秋には完全な巨人ファンになっていたのです。
今でもこのことについて小学館を訴えたい気持ちです。
純粋な子供にこういう教育をすることは絶対に罪だとおもいます。(少し大袈裟?)

そんな私も大学に入り、京都で学生生活を送るようになると望郷の念からか郷土愛に目覚め、弱小球団の広島カープのふがいなさに腹を立て叱咤している内にいつしか心から応援するようになりました。
万年Bクラスのカープを応援しだして3年目、大学3回生の年、ルーツ、古葉監督で念願の初優勝を飾った時の喜びは今でも思い出すと胸が熱くなるほどです。

そして私の2人の息子にはそういう中央集権的な教育を受ける前にカープ・サンフレッチェ・安芸の島という素晴らしい郷土愛教育を施したのでした。



シーラカンス

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シーラカンスを永年研究している学者がある時シーラカンスを食べてみたそうです。

刺身で食べると
         古雑巾を噛んだような味だったそうです。
焼いて食べると
         古雑巾を焼いたような味だったそうです。 
煮て食べると
         古雑巾を煮たような味だったそうです。 

その時学者は突然閃きました。

シーラカンスが8千万年以上も生き続けたのは

       不味かったからだ!!!

この学説は学会で全く相手にされなかったそうです。

人間で世渡りがうまくしぶとい人は
    煮ても焼いても食えない人が多いように思えます。

人間シーラカンスに幸あれ。



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