雑学の本で知りましたが
水平線というとはるか彼方だと思っていました。
ところが実際は身長170cmの人が波打ち際に立つと4kmちょっとしか無いそうです。
そして海岸に高さ100mの展望台を作ると36km先まで見えるそうです。
思っていたより随分近いものでした。
北海道で道路の先に地平線が見えたとき感動したものですが
こういう事を知るとちょっと興ざめですね。
雑学の本で知りましたが
水平線というとはるか彼方だと思っていました。
ところが実際は身長170cmの人が波打ち際に立つと4kmちょっとしか無いそうです。
そして海岸に高さ100mの展望台を作ると36km先まで見えるそうです。
思っていたより随分近いものでした。
北海道で道路の先に地平線が見えたとき感動したものですが
こういう事を知るとちょっと興ざめですね。
平成2年に香港へ行ったときのことです。
現地では日本語ができる中国人のガイドが付いていました。
総勢40名ほどのツアーでした。
観光地に着くたび子供達が走り寄ってきて色んな物を売りつけようとします。
ビニール製のベルトを持って「10本1000円、10本1000円。」と叫びます。
土産にちょうど良いと買う人がいました。
あんなベルトをあげても誰も喜ばないでしょうに............。
そしてバスが動き出すとバスの窓に向かって「20本1000円、20本1000円。」
と、言い出しました。
さっき買った人が憤慨していました。
まあ一つ勉強になったことでしょう。
ある場所では大人が時計を見せながら
「ロレックス2個で1万円」と云います。
仲間の一人が「すぐ壊れるんやろ。」とひやかしたら
「ダイジョーブ、中身日本製。」と答えました。
こういった商売に引っかかることもなく最終日、空港へ向かうバスに乗りました。
朝早い出発で皆ボウーッとしています。
突然バスが止まり、バスの中に4,5人の中国人のおばさんが乗り込んできました。
彼女達はきょろきょろ乗客の顔を見ています。
一人が私を見たと思うと袋の中からビニールに入った物を取り出し
私にそれを押しつけ「3000円。」と云いました。
ビニールの中には私の写真が焼き付けられた皿と古切手、
コルク製のコースターが入っていました。
その写真はレベルス・ベイに行ったとき中国人ガイドが撮ったものでした。
そういえばあの時カメラを向けたので仲間が一緒にポーズを取ったら
そのガイドが手で振り払いながら「一人ずつ。」と云ったのでした。
それにはこういうわけがあったのです。
私は寝ぼけた頭で「いらない。」と云うと
「ダメッ、コレアナタ。」と写真を指さして云います。
「高い、まけて。」と云いましたが首を横に振ります。
その剣幕に負けてつい払ってしまいました。
やはり日本人は中国人の敵ではないようです。
この人達と商売をしたら勝てるはずがありません。
私も一つ勉強をして帰途につきました。
私が高校1年の時英語はM先生でした。
最初の授業で最初から最後まで英語でしゃべりそのまま終わりました。
私たちを脅すのと尊敬を集めようとされたのでしょう。
冗談は言わない先生でしたが真面目すぎて面白いこともありました。
隣のクラスの英語担当はK先生でした。
K先生の家は商店街で鞄屋をされており学校からも近いので誰でも知っていました。
ある日の授業でM先生が
「K先生の家の鞄屋の看板ですが英語で"NEW BAG"と書いてあります。
これは間違いです。正しくは”NEW BAGS"です。」
とにこりともせず云われました。
生徒達は大爆笑でしたが先生は何がおかしいのかという顔をされていました。
M先生にはある日駅へ向かって一人で帰っていたとき、車が止まり
「駅まで送ってあげよう。乗りなさい。」
と云って駅まで送って頂きました。
すごく恐縮して乗ったものでした。
酔後 方に楽しみを知り (酔いつぶれて初めて酒の楽しみがわかり)
弥々 未だ酔わざる時に勝る(酔わないときより断然いい)
容を動かせば 皆是舞いにして(体を動かせばそのままで舞踏となり)
語を出だせば 総て詩となる(言葉を吐けばみな詩になる)
オーストラリアのケアンズに行ったときのことです。
オーストラリアはもちろん英語圏ですが発音が少し違っていて
[ei] の発音はすべからく [ai] になります。
あちらで普通の挨拶はグダイトゥダイ(Good day today)、グダイマイト(Good day mate)
とすごくフランクです。
小さな店で買い物をしたら店員の女性に「バケーション?」と聞かれ
「イエス」と答えたら帰るとき「ハブ ア グッド ホリデイ」と云って見送ってくれました。
ある日海岸を散歩していて白人の少女と出会い、話をしました。
年を聞いたら彼女は一言「アイト」と云いました。
最初は意味が分かりませんでしたが考えていて8歳(エイト)だと理解できました。
嬉しくなって財布に入っていた5円玉をジャパニーズコインだと云ってプレゼントしました。
あれから15年、あの5円と彼女の記憶はもう無くなっているでしょうか。
Mと学生時代に東京でばったり出会ったことは以前書いた通りです。
(1月25日 奇遇)
一昨年のG・W、私は熊本の妻の実家に行きました。
道路が混むのを見越して朝早く4時前に家を出ました。
山口県の下松にあるS・Aで朝食を摂ることにし、
うどんを頼んで給茶機の前の席で食べていました。
突然後ろから
「おいっ、何でここにおるんや。」
と大声がしたので振り向くとMと嫁さんが立っていました。
聞くと彼も連休を阿蘇のペンションで過ごすため朝早く家を出たそうです。
彼は朝食は食べない習慣なので
下松でお茶を飲もうと給茶機に向かっていたそうです。
すると給茶機のすぐ前に私がいてびっくりしたそうです。
本当にすごい確率です。
岡山と福山の人間が下松のS・Aで会うなんて
約束していてもなかなか大変です。
学生の時の出会いは信じてくれなかった親も
今度のは驚いてくれました。
花間 一壷の酒 (花に囲まれ酒を酌む)
独酌 相親しむ無し (独りで飲むのは寂しい)
杯を挙げて 明月を邀え (空の月招き寄せ)
影に対して 三人を成す (我が身の影起こし 三人そろって酒酌み交わす)
月既に 飲を解せず (月はもとより酒たしなまず)
影徒に 我が身に随う (影も我が身に寄り添うばかり)
暫く月と影を伴うて (月と影とをひき従えて)
行楽 須らく春に及ぶべし (ともに楽しむ春の宵)
我歌えば 月 徘徊し (わが歌につれ月歩み)
我舞えば 影 零乱 (わが舞につれ影揺れる)
醒時 同じく交歓し (しらふのうちは揃っていても)
酔後 各 分散す (酔いがまわればさよならさ)
永く無情の遊を結び (いつに変わらぬ良い仲間)
相期して 雲漢はるかなり (落ち合う先は天の川)
大阪の取引先の方が来られたので飲みに行きました。
3,4ヶ月に一度来岡されます。
市内のホテルに泊まり、近くのはまゆうで飲むのが恒例です。
この店は1階が鮮魚店で、その魚料理と日本各地の銘酒が飲み放題といううりです。
日本中のおいしい酒を満足するまで飲め5000円という安さです。
以前その取引先の社長が来られたときお連れしたら大喜びをされ
それからは担当者が岡山に行くときいつも
「今回もあの店に行くのか?」
と聞かれうらやましがられるそうです。
ここで楽しく飲みながら業界の話が聞け、
私も大満足でした。
オーストラリアのケアンズに行ったときのことです。
町を歩いていて一軒のラーメン屋を見つけました。
中をのぞくと日本人が営業しています。
オーストラリアの食事に飽きていた私は迷うことなく店に入りました。
席に座ってメニューを見ると”海鮮ラーメン”なるものが日本円にして1,200円もします。
少し高いと思いながらも注文しました。
そしてさりげなく厨房を見ていると店主が手にしていたのは乾麺だったのです。
あの福島ラーメンやマルタイの棒ラーメンのようなものです。
その上に地元ではすごく安いロブスターを載せて海鮮ラーメンのできあがりです。
これはボロ儲けだと思っていたとき私にもひらめきました。
オーストラリアで冷凍うどんを使ってうどん屋をやったら儲かるかも知れないと。
帰国してから少し調べました。
冷凍うどんをオーストラリアに持っていくにはどうすれば良いか。
どの町でやれば一番日本人が多いか。
知り合いのツーリストの人間に相談してみました。
彼は即答でやめとくように云いました。
外国で食べ物屋を開く場合、地元の人間が受け入れることの出来る食材でないと
絶対に成功しないそうです。
そしてうまくいっていても政治問題や経済問題などちょっとしたきっかけで
すべての努力が無になることがあるそうです。
確かにその後あった東南アジアの地震や津波、中国の半日デモ、など何が起こるかわかりません。
やはり餅は餅屋でした。
素人の思いつきで成功した人は何百人、何千人に一人で
あとの殆どの人は痛い目にあったことでしょう。
私の卒業した立命館大学は色々なことで京都大学、同志社大学と比較されていました。
京都の人たちは京大生を”京大はん”、同大生を”同やん”、立命大生を”立ちゃん”と呼び
ます。
一見親しみのあるような呼び方ですがこれが実はいわゆる三枚目の役割なのです。
京都で昔から言われていることに
「結婚するなら京大はん、ボーイフレンドは同やん、用心棒には立ちゃん。」
「書店で学術書を買うのは京大はん、恋愛小説を買うのは同やん、
何も買わずに立ち読みするのが立ちゃん。」
など、ひどい云われようです。
ある日下宿の仲間(全員立ちゃん)と話していたら地元のラジオ放送に
立命の女子学生が出演していました。
アナウンサーが
「立命の男子学生はどうですか?」
と聞いたらその女子学生は笑いながら
「立命太郎です。」
と曰いました。
それを聞いていた一人が思わずラジオに向かって突っ込んでいました。
「おまえだって立命花子やないか。」
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