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2006年10月31日

霧と雲

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今朝7時前矢掛を走りましたら小田川に沿ってすごい霧でした。

霧についてウィキペディアで調べたら


水粒は雨粒に比べて非常に小さいが、通常、根本的な霧の発生の原因は
大気が飽和状態に達したものなので雲と同じであると考えてよい。

雲と霧の一番大きな違いは水滴の大きさなどではなく、両者の定義の違いである。
すなわち、大気中に浮かんでいて、地面に接していないものを雲と定義し、
それが地面に接しているものを霧と定義する。
例えば、山に雲がかかっているとき、
地上にいる人からはそれは雲だが、
実際雲がかかっている部分にいる人からは霧なのである。


私にとって目から鱗でした。

2006年10月30日

駅伝

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いよいよ駅伝のシーズンが来ました。
昨日は全日本大学女子駅伝。
昨年、名城大に3連覇を阻止された我が母校、立命が
大接戦の末、見事優勝。

それにしても素晴らしい内容でした。
名城大も佛教大も立派な内容でした。
又、繰り上げスタートになり、
泣くランナーの責任感もじんときました。

ふらふらになってもたすきをつないだ中京大の選手にも
感動しました。

今冬も色んなドラマを見ることができると
わくわくする昨日の試合でした。

2006年10月29日

おでん大会

Kさんの店でおでん大会をしました。

8月のビアパーティー、9月のお月見に次いで3回目です。

飲み物は各自持ち寄りで私は純米酒と濁り酒、
Oさんは焼酎、TNさんはビール(本当は第3ビール)、
THさんはワインとすごくバラエティーに富んだ会になりました。

おでんの上に刻み葱をかけて食べると最高でした。

2006年10月28日

吾唯足るを知る

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学生時代、大学の近くにあったので何度も訪ねた龍安寺です。
裏庭にあるつくばいも有名です。

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確か夢窓国師の作と記憶していますが、
(マージャンの国士無双から覚えてる)
中央の水をためる中央の四角い穴が
「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されています。

禅の奥深い言葉だと座右の銘にした時期もありましたが
周期的に否定の気持ちも出てきます。

この考え方には進歩が無いと。

不満や希望が新しいものを発明、発見してきたのとは逆の考えだと。

でも禅とはそういった事を超越したものだという気持ちもあります。

禅とはわからないものです。

2006年10月27日

振り向かないで

若い頃、好きな歌手は男ではよしだたくろう、女では高木麻早でした。
たくろうは今でもバリバリの現役です。
ふと思い出して高木麻早を検索してみてびっくりしました。
又、歌っているんです。

つま恋コンサートでかぐや姫のこうせつが言ってました。
たくろうのは懐かしく無いだろうけど自分たちのは懐かしいだろうって。
かぐや姫は解散して新しい歌が無いからです。

青春時代を思い返して懐かしく思うのもたまには良いけれど
昔は良かったと後ろ向きになったら進歩は無いですね。

前を向いて歩きましょう。

2006年10月26日

坂口安吾

学生時代に読んだ堕落論を読み返しました。

以前よりよく理解できました。

30年の経験や知識が同じ本を読んでも
全く違う感動を与えます。


30年前の私があるフレーズに横線を引いていました。
30年前に感動した部分です。

今そこを読んでも感動しませんでした。

知識や経験を身につけたけれど
失ったものもあるとわかりました。

2006年10月25日

熱燗

日本酒のおいしい季節がやってきました。
夏に飲む冷酒もそれはそれで味がありますが、
日本酒の醍醐味は何と云っても熱燗です。

寒い夜、鍋やおでんと一緒に飲む時、
よくぞ日本人に生まれけりとしみじみ思います。

この、酒を暖めて飲む習慣は世界でも珍しいそうです。
欧米人に比べてアルコール分解酵素の少ない日本人が
アルコールをとばして度数を下げるために発明した生活の知恵でしょうが、
平均よりは分解酵素をたくさん持った私にも恩恵を与えてくださっています。

昨年、念願の酒燗器を買いました。
レンジでの燗よりも数段おいしくなりました。

2006年10月24日

コーヒーの普及

11世紀にアラビアで始まったコーヒー飲用の習慣は、
1615年のベネチアから急速にヨーロッパ全土へと広がっていきました。
その時にイスラム教徒の飲み物をキリスト教徒が飲む事に抵抗があったそうです。
当時の法王が
「悪魔の飲み物といわれるのに こんなにおいしい。
 これを異教徒にだけ飲ませるのはもったいない。」
と、コーヒーに洗礼を施してキリスト教徒の飲み物として受け入れました。
(キリスト教徒らしいすごく都合の良い理論ですね。
 この性格はスウィフトの桶物語を読めばよく分かりますよ。)

さて一方の日本はというと元禄時代に長崎出島から入ってきました。
しかし日本人には、
「豆を黒く煎ってすりつぶし、砂糖を入れて飲むが、
 焦げ臭くて飲めるものでは無い。」
と、いった感想でした。

日本人には緑茶の文化があり、嗜好に合わなかったようです。
鎖国だけが広まらなかった障害では無かったようです。

本格的に広まりだしたのは、文明開化となった明治時代も半ばを過ぎて
やっとのことだったようです。

2006年10月23日

露天風呂のテレビ

昨日は昼から岡山健康ランドへ行きました。
すると一ヶ月前には無かった物が。

露天風呂に何と何と、テレビが設置されていたのです。
そしてそのテレビからはバラエティー番組が..........。

お笑い芸人達が皆を笑わせようと必死で考えてボケるのを
観客が大笑いするというよくあるパターンの番組です。

私は駅伝やマラソンなどの中継を見るのは好きで、
そういう番組なら歓迎ですがバラエティーは見る気になれません。

でもその逆の人もいるわけですから
テレビを1台しか置けないのなら無いほうが良いと思います。

非日常空間の露天風呂にテレビはそぐいません。
これからは足を運ぶのが減りそうです。

2006年10月22日

焼酎ブーム

若い頃から焼酎を飲んでいました。
そう、ブームになる前から。
芋も米も麦も好きです。
以前は芋焼酎を勧めると
殆どの人が臭いと云って飲めませんでした。
ブームの今では殆どの人が、あのふくよかな香りが良いと云います。
隔世の感がします。
ブームの為せる技でしょう。

そしてやれ森伊蔵だ、伊佐美だ、魔王だ、佐藤だと騒いでいます。
本当に味がわかるのかなと思います。
味がわかれば1本に1万円も出して飲むはずはないと思うのですが........。
もちろん決して不味いとは云いません。
2500円ぐらいで売っていたら私もおいしいと云います。

ブームにつけ込んでうまく儲けている人がいて
それに踊らされている人が気の毒です。

2006年10月21日

ビジネス書

昔も今もビジネス書は殆ど読みません。
若い頃、販売士や中小企業診断士の勉強はしましたが
いわゆる営業トークや売り上げアップ術などの勉強はしていません。
よく成功した人の本を読んで
「彼がこう云っていた。ああ云っていた。
 だからこのやり方が正しい。こうすれば成功する。」
と、云う人がいます。
おめでたい人だと思います。
人は一人ひとりすべて顔も性格も環境もその他の何もかも違います。
人生に正解はありません。
熟慮を重ねて実行しても必ず後悔はあります。
成功した人もたまたまだったかも」知れません。
同じ事を10人がして運良く成功した唯一の1人かも知れません。
豊臣秀吉の伝記を読んだら天下人になれると思う人はいないでしょう。
松下幸之助の語録を勉強したらビジネスで成功すると思っている人はいっぱいいます。
縁もゆかりも無い人が書いているたまたま成功した事例を鵜呑みにして理論武装し、
自分に知識がついたと誤解して自己満足するよりも
古典を読んで先達の生き方を見習った方が人生に有益でしょう。
所詮ビジネス書とは金儲けの虎の巻です。
金も必要だけど教養はもっと必要です。

文学論を戦わせることができる人に巡り会えた時は本当に幸せです。


2006年10月20日

本当に偉い人

太宰のどの小説にあったのか忘れましたが、
学生時代から今まで忘れないフレーズがあります。

「他人を説教する人がいるけれど、
 本当に偉い人は説教なんてしやしない。
 ただ黙って微笑みながらこっちを見ているだけだ。
 だけどその笑顔がとっても澄んでいるから、
 こちらが恥ずかしくなるんだ。」

自己弁護が多い太宰だけどその中にも輝く言葉がありますね。

2006年10月19日

縁側

F教授からはよく云われました。
「勉強は好きな者がやればいい。君は酒の飲み方を勉強して社会へ出ろ。」

私の卒論にはAを付けてくださいました。
卒論の感想を伺ったら
「目をつぶって読んだからよくわからん。」

その教授から聞いた話で一番心に残っているのは“縁側”についてです。
教授の家にも縁側がありました。
その縁側を見ながら
「縁側とは縁(ふち)にあるから縁側と言うんでは無い。
人と人との縁(えん)を作るところだから縁側と言うんだ。
人が訪ねて来たとき、家に上がってもらうほどの事が無くても
縁側に座布団とお茶を出せば立派な応接間になる。
そこで話す事によって人と人との縁が深まっていくんだ。」

私も将来家を建てることがあれば縁側を作ろうと思いました。
35歳の時,家を建てましたが残念ながら住宅メーカーのモデルには縁側が無く
平凡な家を造ってしまいました。


2006年10月18日

ブラジル・サントス

この名前はよく聞かれると思います。
サッカー選手にもブラジルのサッカーチーム名にもありますね。
でもこの名前は産地名ではありません。
サンパウロ州のサントス港から輸出される豆をこう呼ぶのです。
サントスはブラジル・コーヒーの中では最高級の豆です。
けれどもサントスの中にもいくつものランクがあり、
サントスだから良い豆とは限りませんので注意してください。
ブラジル・コーヒーには他にビクトリア(ビクトリア港から輸出)、
パラナ(パラナ州産)、ミナス(ミナスヘレス州産)などがあります。

2006年10月17日

安近短温泉その4

岡山市に住んでいるのでなかなか行くことの無い瀬戸大橋温泉やま幸に十数年振りに行きました。
最初に思ったのはすごく客が少ないということです。
おかげですごくゆったりと入ることができました。
ここには循環式と掛け流しの両方があり飲用もあります。
でも休憩スペースには不満が残りました。
ムービールームがあるのに映画は上映して無く、
禁煙の休憩スペースとしてテレビが1台置いてありました。
普通の休憩スペースは喫煙OKですごく不健康ルームとなっていました。
禁煙者より喫煙者を優遇するのは今時珍しく、希少価値が出るかもしれません。

2006年10月16日

キリマンジャロ

キリマンジャロはアフリカ大陸東岸にあるタンザニア産の豆です。
コーヒー通で無い方でもブルーマウンテン、モカ、キリマンジャロの名前は知ってらっしゃると
思いますが、ではその味は?と聞かれると殆どの方がご存知無いでしょう。
酸味と甘味がほどよく調和したアフリカ最高級の豆ですが
ここまで有名になったのはおそらく缶コーヒーのCMの力でしょう。
さてこの山の名前ですがキリマンジャロ山ではありません。
現地スワヒリ語で “キリマ” は “山” 、 “ンジャロ” は “輝く” という意味です。
(スワヒリ語にはンで始まる語が多いのです。)
ンジャロ山ではここまで有名にならなかったことでしょう。

2006年10月15日

復活

高2の夏、トルストイに挑戦しました。
先ず躓いたのが名前です。
主人公は確かネフリュードフ(ドミートリイ・イヴァーノヴィッチ)という名前だったと今でも覚えています。
なぜ今でも覚えているかといえば何度も読み直したからです。
長編なので一気に読むことができず続きを読もうとしたら
脇役の名前がこんがらがって前に進めないのです。
名前が難しすぎます。
こんなのは覚えられません。
仕方なく数ページ戻っては読み返すということを繰り返した為、
一夏かかっても読み終えることが出来ませんでした。
それ以来ロシア文学は「罪と罰」しか読んでいません。
(主人公の名前はラスコーリニコフでした。)

2006年10月14日

多謝

今週開業して丸10年を迎えました。
平成8年10月10日に期待と不安の中オープンし、
色んな事があった10年でした。
もちろん努力もしましたが
それ以上に友人やお客様に助けられた感があります。
10年の間には赤ちゃんだったのが小学生になったり
逆に亡くなられた方もおられます。
10年間お世話になったすべての皆様に心より感謝致します。

2006年10月13日

貧乏学生

今では当たり前になった携帯電話。
私の学生時代は余程の金持ちの子で無い限り、
間借りの下宿生活で固定電話もありませんでした。
大切な用件は大家さんが呼び出してくれるけれど、
あまり頻繁だと渋い顔をされるので
友達同士、お互いかけるのを遠慮していたものです。
ある時、仕送り日を前にして金が底をつきました。
同じ下宿のもう一人も無くなりました。
二人で空きっ腹を抱えて対策を考えました。
周囲は貧乏な者ばかりでなかなか良い案が思い浮かびません。
結局Mなら持っているかもと二人でMを訪ねることにしました。
電車賃も無いので5kmぐらい歩いて行きました。
Mの下宿に着きましたが悲しいことにMはいませんでした。
1時間ぐらい待っていましたが帰ってきません。
あきらめて下宿に帰り、今日は飯抜きかと寝転んでいると
階段を駆け上がる音がしてなんとMが入ってきたのです。
私の気持ちはいっぺんに明るくなりました。
すると私が話す前にMが口を開きました。
「おい、何か食わしてくれ。金がのうて今朝から何も食うとらんのや。」
「.......................]

2006年10月12日

腹痛薬

卒論の指導を受けるため、F教授の研究室を訪ねました。
教授は機嫌良く迎え入れて下さり、飲み物も用意して下さいました。
その飲み物は...........梅酒...........でした。
教授は「研究室では酒は飲まない。これは酒では無いぞ。腹痛の薬だ。」
私たちの気持ちを察してこう云われたのでした。

2006年10月11日

経済学?

株の売買を始めて20年になります。
最初は暗中模索の中で行っていましたが6年前から数人の仲間と本気で勉強することになり
みんなで勉強しながら投資をしています。
すごく奥が深く、なかなか思うようにはいきませんがそれでも損をせず、
そこそこ利益を上げてきたのはNリーダーの力に負うところが大でした。
本日も例会があります。今月は3ケ月ぶりに配当が出ました。
やはり現金という形で勉強の成果がでると心が弾みます。

2006年10月10日

遠慮の塊

F教授からは色んな事を教わりました。
もちろんその殆どは飲みながらですが........
ある時、例によって3人で飲んでいるとつまみが1つだけ皿に残りました。
そう、あの有名な“”です。
私がその事を話すと、
F教授「渡辺君、1つ残らないようにするにはどうしたら良いかわかるか?」
私「わかりません。どうしたら良いのですか?」
F教授「最後から2つ目を食べる者が2つとも食べるんだ。」
私「???」
この答えについては30年経った今でも謎です。

2006年10月09日

おーい雲よ

連休の初日午後から近くのほのかの湯に行きました。
露天風呂にあるごろ寝湯で寝転ぶと青空が見えます。
空に幾つかの雲が流れています。
この雲をじっと見ているのが好きです。
色んな事が頭に浮かびます。
子供の頃、雲に乗れたらと思っていた頃の事、
孫悟空のきん斗雲(きんとうん)の事、
黛ジュンの歌で「雲にのりたい」、
たくろうの「明日に向かって走れ」の冒頭
山村暮鳥の詩  
 おーい雲よ 悠々と 馬鹿に呑気そうじゃないか 何処まで行くんだ ずっと磐城平の方まで行くんか。

いいですねー。

2006年10月08日

恐怖の宴会

飲み始めて4時間経った頃、玄関で声がしてそのまま勝手に上がって来て私たちが飲んでいる部屋のふすまを開けて入ってきたのはT講師でした。
30歳過ぎのT講師はF教授の飲み仲間だったのです。
仕切り直しで4人の宴会が始まりました。
救いは新しい人が来たので3回目の肴が来たことだけでした。
でもその皿の上に食べ物があったのは2,3分の間だけでしたけれど.........
教授も講師も煙草は何とエコーでした。
学生でエコーを吸っている者はいかに貧乏立命といわれる私たちにも殆どいませんでした。
でも煙草が切れるとエコーを買ってきてくれと云われ、私たちだけハイライトを吸うわけにもいかず皆でエコーを吸いました。
エコーを吸っているうちに喉がおかしくなってきました。何か喉につっかえたような感じで変なのです。

合成酒と安煙草と空腹のトリプルパンチと戦って7時間が経ちました。(午後6時)
電話が鳴り教授が「おお、来い。」と誰かに云ってましたが酔いと頭痛と喉の痛みと空腹でもうろう状態の私にはどうでも良いことでした。
しかし10分後入ってきたのは何と今度は学部長でした。
学部長から色々話しかけられ緊張で酔いは吹っ飛んでいきました。
単位取得に四苦八苦していた私は学部長に就職も決まっているので何とか卒業させてくださいと必死でお願いしました。
学部長はにやにやしながら「まあ追試の1つぐらいは受けた方が思い出になるぞ。」とのたまわれるのでした。
恐怖の宴会が終わったのは日付が変わった午前1時でした..............
14時間の拷問は翌日曜日の存在を私の人生から奪い去ったのです。

月曜日、大学の学生課へ入室したとき奥の方へ学部長が偶然おられ、瞬間目が合いました。
学部長は私を指さし周囲にいた職員達に大きな声で「あの学生がさっき話した、Fさんの家で14時間飲んだ奴だ。」と言い放ったのです。
私はその部屋から跳んで逃げました。


2006年10月07日

安酒

学生時代、ゼミのF教授には色々とお世話になりました。
1回生の時、何気なく選んだ政治思想史の担当でした。
とっつきにくそうな無愛想な教授でしたが何となく惹かれるところがあり、
政治にも興味があったので3回生でゼミを選択するときに迷うことなくF教授のゼミを志望しました。
この選択は大正解?でした。

先ず一つ目は少人数(7人)のゼミだったことです。
この教授の人気の無さと人数を増やすことに全く興味の無い性格の為せる技でした。
おかげで毎週のゼミに出てくるのは多くて4〜5人、少ないときは2人でした。
ですからゼミは勉強というよりも雑談のようなものでした。

二つ目は私がにらんだ通り、大がいくつも付くような酒飲みだったことです。
土曜日の2講目がゼミでしたが私と友人の2人しか出席しなかったとき、教授が「今日はこれで終わりだからゼミはウチでやろう。」と云われ自宅へ招待して頂きました。
この事があんなに恐ろしいことになるとはその時夢にも思いませんでした。

2講目というのは午前中の後の方でそれが終われば昼食です。
貧乏学生の私たちは当然ながら朝食抜きで昼食を心待ちにしていました。
教授の家に着いたのは11時過ぎでした。
部屋に入るとすぐ教授が一升瓶を持って入って来られ、嬉しそうに「この酒は安いんだ。」と云われました。
見ると何と生協が出している酒で値段は600円だそうです。
貧乏学生の私たちでさえ普通の2級酒を900円ぐらい出して飲んでいるのに
学部長になるのを厭がり(忙しくなると酒を飲む時間が減るから)逃げ続けている60歳前の教授が合成酒を飲んでいるとはただびっくりするだけでした。

さてその酒をコップについで飲み始めると教授の奥さんが軽い酒の肴を持ってきてくださいました。
空腹の私たちは瞬くうちにそのつまみを食べましたが、教授は殆ど食べず、しゃべって飲んで満足そうでした。
空きっ腹に安酒がこたえて、私は恐る恐る「先生はあまり食べられないんですね。」と云うと「ワシは飲み屋でつまみは?と聞かれたら鼻をつまんで飲むと云うんだ。」と得意げに答えてくださいました。
奥さんも酒飲みを充分理解?されてかその後何も持ってきてくれません。
やけになって飲んでいると3杯飲んだ頃から頭痛がしてきました。友人にそっと云うと彼も痛いと云います。
安酒の力は素晴らしいと感じました。
2時間経った頃、やっと次の肴が出てきました。
これもすぐ無くなり本当に焼け石に水でした。

この続きは次回のお楽しみ

2006年10月06日

人生劇場

主人公の名は青成瓢吉、名前から受けるイメージとは全く違い、壮大な人生を描いた小説です。
吉良上野介の領地であった三州吉良から始まり中国大陸も舞台となります。
田舎の名士であった父親瓢太郎が没落していきながらも毅然としていた姿は、
今では否定されている家父長制度やブルジョワジーにもそれはそれで良い面もあり
又当事者のそれがための苦悩や努力も表れていました。
青春篇から始まる長編小説は五木寛之の青春の門にも多大な影響を与えていると思われます。
青春の門ほど簡単には読めませんが青春の門を読んだことがある方には是非一読されることをお勧めします。

2006年10月05日

若い命

本日、葬儀に参列しました。
知人の息子さんが21歳の誕生日に突然心臓麻痺で逝ってしまいました。
同じ町内で小学生の時から良く知っている子です。
私の住む町内では男子はソフトボール、女子はポートボールチームに入るので子供達は学年の壁を越えて仲良くしていました。
夏には男女一緒に親も同行して2泊3日のキャンプを楽しみました。
彼は釣り好きの真面目なおとなしい子でした。
高校卒業後大阪の専門学校へ進み、そこの寮の部屋で一人で誰にも気付かれることなく逝ってしまったのです。

葬儀には今までも比較的出る機会があったのですが、親族以外でこんなに辛かったのは初めてです。
こんなに若い人が逝ってはいけません。
葬儀は亡くなった方のためよりも残された方のためにするものだと私は思っているのですが、
残されたご両親、ご祖父母にはむごすぎます。
順番が違います。
心の準備もできていません。

ご両親には向かい合っても言葉が出ませんでした。
お悔やみの言葉が一言も出せませんでした。

親より長生きするのが最高の親孝行だと改めて感じました。


2006年10月04日

清酒

清酒(日本酒)の販売量が落ち込んでいるそうです。
30年前の約半分だそうです。
当然と言えば当然でしょう。

理由はいくつもあると思います。

1.若い人が飲まなくなった。
   30年前と言えば私の学生時代。
   仲間と集まってはしょっちゅう酒盛りをしていました。
   一升瓶を空にしながら徹夜で議論をしていました。
   こういう姿はお洒落で無く今の学生は殆どしないようです。
   (一気飲みのような勿体ない飲み方は昔はしませんでした。)
2.焼酎が広く飲まれるようになった。
   昔は焼酎は九州で飲まれるのが殆どでした。
   本州では安いので貧乏人が飲むものというイメージがありました。
   (本当は体にも良く酔い覚めも良いので隠れ焼酎ファンはいました。)
3.日本酒メーカーの怠慢。
   利益優先主義からか醸造用アルコールをふんだんに使って原価を抑え、
   味では無くCMの力や景品で売ろうとしてきました。
   瓶の色やデザインに凝って若い女性に売り込もうとしたりして
   美味しい酒を安く売ろうという気概が見られません。

蔵元もどんどん減っているようです。
ドイツのビール、フランスのワイン、英国のスコッチ等
どこの国も国家が厳しい基準を設け品質を守りつつ
メーカーを育成しているのに日本ではどうだったでしょうか。

今は廃止されましたが以前は2級酒、1級酒、特級酒というような区分けがありました。
これについて殆どの人が上になるほど良い酒だと思っていました。
確かに2級よりは1級、1級よりは特級の方が値段が高かったからです。
でもこれには裏があり、メーカーが何も申請しなかったらすべて2級なのです。
メーカーがこの酒は1級で売ろうと思い申請したらまず審査を通ります。
なぜならその方が支払う税金が増えるので国税庁が拒否するはずが無いからです。
ですから有名メーカーの1級より地方の蔵元の2級のほうがおいしいというようなねじれも
当然起こりました。
このような曖昧な基準だから問題が起こって当然です。
そしてこの区分が廃止されても大手メーカーが2級を佳撰、1級を上撰、特級を特撰と言い換えたら
他メーカーも右へ倣えという、本当に何とも言えないような業界体質を見せてくれました。

日本酒をこよなく愛する者として日本人が世界に誇れる清酒文化が発展していく事を
願ってやみません。


2006年10月03日

カープ・サンフレッチェ・安芸の島

広島出身の私ですが、子供の頃は巨人ファンでした。
これは確実にマス・コミのせいです。
忘れもしません、月刊誌小学3年生の付録にボールのマークが50個ずつ書いてあるスタンドが2つ入っていて、王と長嶋がホームランを打ったらボールを塗りましょう、とありました。
それまでプロ野球を見たことが無かった私ですがその年は必死でナイターの巨人戦を見て、2人がホームランを打ったら大喜びでそのスタンドのボールを塗りました。
そしてその年の秋には完全な巨人ファンになっていたのです。
今でもこのことについて小学館を訴えたい気持ちです。
純粋な子供にこういう教育をすることは絶対に罪だとおもいます。(少し大袈裟?)

そんな私も大学に入り、京都で学生生活を送るようになると望郷の念からか郷土愛に目覚め、弱小球団の広島カープのふがいなさに腹を立て叱咤している内にいつしか心から応援するようになりました。
万年Bクラスのカープを応援しだして3年目、大学3回生の年、ルーツ、古葉監督で念願の初優勝を飾った時の喜びは今でも思い出すと胸が熱くなるほどです。

そして私の2人の息子にはそういう中央集権的な教育を受ける前にカープ・サンフレッチェ・安芸の島という素晴らしい郷土愛教育を施したのでした。

2006年10月02日

豆は荒挽きがおいしい?

コーヒー豆の挽き方で迷っている方もおられると思います。
豆の挽き方には一応常識というものがありカリタ式なら中挽き、サイフォン用なら荒挽きということになっています。
ところが必ずしもそうとは限りません。
なぜなら人によって淹れ方や好みも違うからです。
又、コーヒーメーカー一つをとってもいろんな物ががあり、980円で売っているものから1万円を超える物まであります。
しかし安い物はあまりおすすめできません。
そのわけは安い機械だと、ただ上から熱い湯が落ちるだけでその温度も落ち方も不安定なことが多く 淹れるたびに味が違ったり落ち方が遅いために苦かったり渋かったりするからです。

荒挽きと中挽きの豆をハンドドリップで淹れると荒挽きの方が美味しいのは事実です。
粉が細かいと抽出に時間がかかり濃い味になりますが豆の欠点も出やすく、渋みなどの原因になるからです。
ただし荒挽きの場合、粉をケチると薄くなってしまいますのでたっぷり使う必要があります。
ですからハンドドリップでおいしく飲むためには荒挽きでたくさん粉を使う(1人前の時は約12g)と良いでしょう。
つまり美味しく飲むためには贅沢が必要ということですね。
しかしその味で物足りない感じがする人もおられます。
中には細挽きでちょうど良いと言う人もおられます。
それは人それぞれ好みもあるので当たり前のことでしょう。

当店に初めて買いに来られた方には荒挽きで少量買って頂き、その味がどうかで次回より修正をしたりしています。


2006年10月01日

シーラカンス

シーラカンスを永年研究している学者がある時シーラカンスを食べてみたそうです。

刺身で食べると
         古雑巾を噛んだような味だったそうです。
焼いて食べると
         古雑巾を焼いたような味だったそうです。 
煮て食べると
         古雑巾を煮たような味だったそうです。 

その時学者は突然閃きました。

シーラカンスが8千万年以上も生き続けたのは

       不味かったからだ!!!

この学説は学会で全く相手にされなかったそうです。

人間で世渡りがうまくしぶとい人は
    煮ても焼いても食えない人が多いように思えます。

人間シーラカンスに幸あれ。