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2006年12月31日

ジャネーの法則

一年が終わろうとしています。

誰と話しても一年がすぐだと言います。

この前正月を迎え、ちょっと前暑いと言ってたのにと。

ジャネーの法則というのをご存知ですjか?。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと

ジャネーの法則とは、フランスの心理学者・ポール・ジャネーが提唱した、主観的に記憶される年月の長さは、年少者にはより長く、年長者にはより短く評価される という現象を心理学的に解明した法則のことである。

簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するというものである。

例えばジャネーによれば… 50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。 よって、50歳の人間にとっての10年間、5歳の人間にとっての1年間である。

そうです、子供の時は一年は長かったのでした。

こういう話も聴きました。

”子供にとって一日は短く、一年は長い。

老人にとって一年は短く一日は長い。”

35歳頃から一日も一年も短くなりました。

一日が長くなる日が来るのを一日でも遅くしたいと思います。

2006年12月30日

得意?の英語

大学1年の時、少しの間パブでウェイターをしました。

ある日、店に白人が2人入ってきてビールを注文し、舐めるように飲んでいました。

すると1人が席を立ち店を出て行きました。

5分もしないうちにその白人がまた1人白人を連れて戻って来、3人でビールを舐めだしました。

すると今度は残っていた1人が店を出て行き、

しばらくすると最初に来たほうのもう1人が出て行きました。

それから10分後カウンターの女性が私を呼びました。

「この外人何言ってるかようわからんわ。あんた大学生やろ、聞いてみて。」

私はびくびくしながら話しかけるとどうやらチェックしてくれと言ってるようです。

私はほっとして3人で飲んだビール5本とオードブル3つの料金を示しました。

すると彼は「ノー。アイ ドランク ワン ビヤー。アイ イーティッド ディス ワン。」

とのたまうではありませんか。

私は必死で

「バット、バット、アーント ゼイ ユア フレンズ?」

と質問しました。

彼は平然と

「ノー、ゼイ アー アメリカン。 アイ アム イタリアン。」

それを聞いた私は

「バット、バット。」

しか言えませんでした。

しかし粘りがちで20分後ついに彼はしぶしぶ全部払って出て行きました。

店長は「二度と外人は入れるな。」と言いました。

それからは外人が入ろうとすると私が飛んで行き。

「アイム ソーリー。ディス イズ メンバーズ ショップ。」

と言って帰らせました。

2006年12月29日

自衛消防団

町内の自衛消防団に加入しています。

自衛消防団と言うと

「ああ、町内会費で飲み食いしているあれか。」

と思われる人がいるかも知れません、

でもうちの町内は違います。

毎月の定例会はお茶を飲みながら真面目にやってます。

月に一度早朝から放水訓練もやってポンプの調子も見ています。

年に一度の近隣町とやっている四町合同放水訓練では殆ど優勝しています。

そして今日が年末恒例の夜警で消防車に乗って町内を見回りします。

3年前までマイクで防犯防火を呼びかけ合いの手で鐘を鳴らしていましたが

どこかでクレームがあったとのことで鐘は禁止になりました。

動きながら鳴らしているので一つの家で聞こえるのはせいぜい2、3分です。

これを騒音だと言ってクレームをつける人も理解できませんが、

それを聞いてやめるように指示を出した市の幹部も理解できません。

以前は町内の子供を乗せたこともあります。

消防車に乗った子供はすごく喜んでいました。

きっと大人になってもその時の喜びは忘れないと思います。

でもこれも事故があったときの責任問題で禁止になりました。

難しい世の中になりました。

2006年12月28日

額の傷

S高校は一応福山の進学校と言われていたので

まずまずの生徒が集まっているはずでした。

ところがこのMは頭は良いのですが行動は突飛でした。

例の額の傷は中学3年の終わりの頃、

悪友たちと親の車を持ち出し無免許でドライブをしていて

橋からさかさまに落ちた時のものでした。

そのため内申書は滅茶苦茶。

S高校には補欠で入ってきたのでした。

そのMが二十歳の頃車の免許を取りに行きました。

長年?の経験で技能はすいすいと進み、

路上での最終検定の時です。

順調に車を走らせていた時、

前方の横断歩道を渡ろうとしているお婆さんを発見しました。

Mは躊躇することなく思いっきりクラクションを鳴らしました。

教官は直ちに「検定中止!」と言ったそうです。

2006年12月27日

モラルの低下

昨日、伸城さんがブログでパーティーでのモラルについて嘆かれていました。

私は朝、家から仕事場まで幹線道路を通らず裏道で来ます。

理由は朝から不快な気持ちになりたく無いからです。

朝は大体7時までに店に来るのですが少し遅れると大変です。

幹線道路にはバス専用レーンがあり

7時から9時は一般車両は通行禁止になります。

ですから右車線を走るのですが渋滞します。

ところが通ってはいけないバス専用レーンを多くの車がスイスイと走って行きます。

途中に交番がありますがノーチェックです。

そして最後に左折するためバス専用レーンに入ろうとしても

一般車両の列でなかなか入れません。

真面目にルールを守っている人が損をしてルールを破る人が得をする。

こんなものを朝から見たくは無い気持ち、わかって頂けるでしょうか。

2006年12月26日

アメリカ人と箸

観光地京都、

中でも有名な嵐山にある観光客用レストラン、

その名も”レストラン嵐山”。

ここで約半年間働きました。

仕事内容は、普段はレストランのウェイターですが

観光バスが着く前には弁当作りにおおわらわ。

テーブルにずらりと並んだ食器に10数人が各自担当の食材が入ったトレイを持ち。

順番に決められた位置に置いていきます。

後から追い立てられる流れ作業で息つく暇もありません。

時間との戦いです。

出来上がったところへ観光バスが到着。

ぞろぞろと(失礼)入って来られます。

時には外国人の団体。

あるアメリカからの団体が来たときメニューはカレーライスでした。

テーブルにはカレーライスの入った皿とスプーンとコップ。

この準備は簡単でした。

ところが食事が始まってすぐ一人の女性が私を呼びました。

”Chopsticks please!"

右手の指を動かしながら言いました。

箸を持って来いと言うのです。

私がが割り箸を渡すと嬉しそうな顔でカレーを箸で食べ始めました。

ポロポロ落ちて見ていられません。

するとそばにいた人たちも口々に

”Chopsticks please!"

と、言い出しました。

結局全員が箸で食べだしたのです。

まあ本人が満足したのだから良かったのでしょう。

他国の文化は簡単には理解できないものです・

例外は暗記するしかないでしょうから。


2006年12月25日

出会い

以前にも書きましたが私は福山の高校の出身です。

ペリー来航時の老中、阿部正弘が作った学校で歴史があり

私も小学校の時からあこがれていました。

そしてそのS高校に無事入学でき希望に胸膨らませていた1年の新学期です。

頭の良い奴が一杯いるから頑張らねばと思っていた最初の頃の英語の授業です。

先生は入ってくると突然英語で自己紹介を始めました。

自分の名前の由来を英語で続けました。

授業の進め方を英語で続けました。

そのまま一時限が終わり、先生は日本語を一言も話さず出て行きました。

とんでもないところに来てしまったと思いました。

自分はついていけるのだろうかと不安で一杯でした。

ところが翌日、別の授業の時です。

先生が予習してきているはずの問題を私の列の一番前の生徒に聞きました。

彼は即座に「わかりません。」と答えました。

言われたとおり予習していれば簡単にわかる問題です。

先生はむっとして

「今からそんな勉強態度ならすぐついていけなくなるぞ。」

と叱りました。

授業が終わり、彼はすぐ席を立ち後ろに向かいました。

その時の顔は今でも覚えています。

彼は苦虫をつぶしたような顔をし、その額には大きな傷がありました。

彼がMです。

彼の額の傷については次回で。

2006年12月24日

F教授よ永遠に

今までF教授のエピソードを色々書いてきました。

本当に愛すべき教授でした。

酒をこよなく愛す李白のような人でした。

先生が戦争中、当番で徹夜で見張りをしていた時、

その小隊が、メチルを飲んで全滅したそうです。

当番で無かったら人の3倍くらい飲んでいたでしょうから

運の良い人だったのでしょう。

でもその先生も数年前 鬼籍に入られました。

こういう名物教授は昔はごろごろいました。

今は文部省の努力の成果?があって平均的人間が増えました。

F教授ほどではないけれど私の友人に型破りな人間がいます。

彼と知り合ってもうすぐ40年です。

彼とのエピソードをこれから時々書いていこうと思います。

タイトルは"友人M"です。

ご期待ください。

2006年12月23日

紅白歌合戦

紅白を見なくなったのは高3からです。

高3の時は一応受験生の端くれだったからです。

大学生になるとその日のその時間帯は友人達と遊んでいました。

私の好きなフォーク歌手は全く出ないので興味がありませんでした。

そしてそれきり今日に至るまで見ていません。

思えば高2まで見ていた方が不思議なくらいです。

その理由はわかりました。

昔はテレビは一家に一台だったからです。

テレビは壊れて初めて、次のを買うのが当然でした。

それが今では我が家でさえ4台あります。

自分の好きな番組を勝手に見ることができます。

庶民の生活が贅沢になるにつれ、家族間の断絶が拡がり

紅白の視聴率が下がっていったのでは.............。

2006年12月22日

映画村その7

映画村ではご存知、銭形平次の撮影が行われていました。

観客が邪魔にならないよう私たちバイトが綱を張って整理します。

そんなある日事件が起こりました。

撮影現場のすぐ横にある小屋に

主役の大川橋蔵がスタンバイで入るのを見つけたおばちゃんたちが騒ぎ出したのです。

「橋蔵さん出てきてー。」

「橋蔵さんサインしてー。」

大声で叫びます。

撮影前の緊張の時間、そんな余裕はありません。

彼は無視して出てきません。

するとそのおばちゃんたちは怒り出して

「橋蔵のけちー。」

「もうあんたのテレビは見ないよー。」

と叫びだしました。

すると彼はさっと立ち上がり小屋を出て帰ってしまいました。

その日のロケは中止になりました、

誰が悪いのでしょうか。

おばちゃんたちも言い過ぎたけど気持ちも分かります。

橋蔵も大切な仕事に真剣に取り組んでいるのだから

怒る気持ちも分かります。

役者は演技をして完成したものを、満足できるものを客に見せたいはずです。

それを金儲けの為、演技の最中に客を入れ、雑音が入ることを厭わない

映画村に問題があると思います。

きっと橋蔵もそういう思いだったでしょう。

よくテレビでNG特集をやっていますが

今時の役者のレベルの低さを見せるようでとても見る気になれません。

本当の役者ならそんなものを放映されたら恥ずかしくてたまらないでしょう。


三船敏郎はスタジオに台本を持って来なかったそうです。

だから彼の主演する映画に出演する役者は全員

台詞を丸暗記してスタジオ入りしたそうです。

これが本当の役者でしょう。

2006年12月21日

他人には喝?

自分が出来ないこと、やらないことを他人には求める人がいます。

ワンマンな社長に多いタイプですが評論家と言ったり言われたりする人にもよく見受けられます。

最もそれをするのが評論家なのかも知れませんけど.............。

子供の頃住んでいた福山には駅前大通りの突き当たりに小さな福山市民球場がありました。

ナイター設備も無いその球場には一年に一度3月に、

広島カープがパ・リーグのチームと一緒にオープン戦に来ていました。

私はカープファンの母親と毎年それを見に行っていました。

それは毎年土曜日にあったのでその日は学校が終わると急いで帰り、

バスに乗って出かけるのでした。

小学校の4年生か5年生か定かではありませんが今でも覚えていることがあります。

その年カープの相手は東映フライヤーズでした。

東映のクリーンアップの一人で背番号10の選手がピッチャーゴロを打ったのです。

その途端、その選手は一塁へ向かって走るどころかベンチに向かって歩き出したのです。

私はびっくりしました。

その選手は

”たかがオープン戦、たかが広島の田舎の観客の前、こんな場所で走る必要は無い”

と思ったのでしょうか。

私は子供心にこの選手は応援したくないと思いました。

その選手はパ・りーグでは有名で私が東映で知っている数少ない選手でした。

その選手ですか?

勘の良い方はもうお分かりでしょう。

日曜日の朝、大沢親分の右に座って色んな人に”喝!”と言って厳しく批判するあの人です。

東映からゴネて巨人に移り、巨人を追い出される時には

「巨人は間違った方向に進んでいる。」

と批判していた人です。

今は少年野球教室を開いているそうですが

ピッチャーゴロを打ったら走らなくて良いと教えているのかも................。

2006年12月20日

映画村その6

映画村ではローテーションで色んな仕事をしましたが

一番辛かったのは団体バス専用駐車場の係りです。

オープンして1週間、”これはたくさんの客がくるぞ”と思った東映幹部、

映画村の入り口から150mのところに団体バス専用駐車場を作りました。

そこへ東映社員のおじさん1人とバイトの大学生2人が朝9時30分に行きます。

そして団体バスが来ると駐車位置を案内して料金を徴収します。

ところが土、日曜日はそれなりにバスが来て大変ですが、

辛いのは平日です。

何せ1日に3,4台のことが多いのです。

実働は15分くらいでしょう。

これは地獄です。

何もしないで1日じっとしていなければいけません。

ポケットに文庫本を忍ばせてそっと読んでいたらおじさんに怒られました。

昼休憩のくるのがいかに待ち遠しかったことか。


確かドストエフスキーが書いていたと思いますが

人間にとって最も過酷な刑は、

囚人にスコップで穴を掘らせます。

掘り終わったらその穴に土を埋めさせ元に戻します。

埋め終わったら又そこを掘らせます。

これを一日中何度も何度も繰り返させ、それを毎日続けるのです。

たいていの囚人は精神障害になるそうです。

人間にとって無意味な仕事、無意味な時間を強制することは

ある意味、死刑よりもひどいことなのかも知れません。

2006年12月19日

女子駅伝

日曜日にあった女子駅伝は忘年会場の健康ランドの露天風呂で見ました、

途中でのぼせて大変でしたけれど。

1区の注目は地元出身のルーキー新谷仁美です。

デオデオのケニア選手には及ばないものの2位でリレーしました。

さすが高校時代に見せた実力は本物でした。

華の3区はケニア勢が大活躍、渋井陽子も頑張ったけど今ひとつ及びません。

5区はさすがの福士加代子でした。

超人的なスピードでぐんぐん追い抜きながら知人を見つけると笑いながら走り、

女新庄という感じでした。

大学の後輩になる資生堂の加納由理も応援しました。

頑張りました。

初優勝に大きく貢献しました。

アンカーの資生堂弘山晴美と三井住友のルーキーのデッドヒートは圧巻でした。

いつも思うけれど、勝者が泣き敗者が泣く。

本当にいいですねー。

繰上げスタートになったあと駆け込んだ選手が泣き崩れる。

その人の責任感がまたぐっときます。

これからも実業団男子駅伝、箱根駅伝、男女高校駅伝、楽しみは尽きません。

2006年12月18日

映画村その5

ある日スタッフの控え室に用がありバックヤードを歩いていると

通路に一人の女性が立っていて、私に気付くと

「よろしくお願いします。」と丁寧に頭を下げました。

私も会釈して通り過ぎ、どこかで見た顔だなと思って気が付いたのは

数年前に”男と女のお話”で大ヒットした日○ミミさんでした。

しばらく見なかったらこういう事になるんだな(社員だろうがバイトだろうが

とにかく皆に挨拶し、頭を下げる)と芸能界の厳しさを垣間見た思いでした。

彼女はそれから数年経って又、ブレイクできたので

人ごとながら良かったと思いました。

2006年12月17日

忘年会

今日は何度目かの忘年会。

ちょい悪親父が6人集まって毎年恒例の温泉泊まり込み。

ところが今年はどうしてもみんなの日程があわず

いつものように2時集合一路温泉へ、ができません。

苦肉の策で大福の健康ランドにバラバラ集合としました。

でもちゃんと部屋を取って布団も頼んでいます。

私とOさんは昼から行って、

昼寝、昼酒、昼湯と満喫、全員が集まるのは6時。

わーっと騒いで飲んで本当に1年を忘れることになりそうです。

残りのみなさん、仕事頑張って6時に間に合ってください。

6時には必ず乾杯をしますよ。


2006年12月16日

映画村その4

サイン会の整理は何回もしましたが色んな人がいました。

裏の顔が良く見えて面白かったです。

一番嬉しかったのは松平純子さんです。

少しマイナーですがポスト藤純子で売り出した3人の内の一人で

拓郎作曲の”両国橋”を歌っていた人です。

サイン会が終わったあとの挨拶のとき

思い切って”握手してください”と言ったら

にっこり笑って手を差し出してくれました。

とても嬉しかった思い出です。

反対に不快だったのはW瀬T彦です。

サイン会場(スタジオなので禁煙)にサングラス、くわえ煙草で現れ

「なんや、ここは灰皿も無いんかー。」

スタッフが大慌てで灰皿を持ってきました。

「お客様入りますー。」

とスタッフから声がかかると

煙草を消しサングラスをはずし満面の笑顔で

「やあ、いらっしゃい。」

と愛想を振りまいていました。

見事な役者魂?でした。

2006年12月15日

打算

すごく打算的な人がいます。

自分にメリットが無いとわかると

手の平を返すように態度を変え、つきあいをやめたり無視したりします。

もちろん誰にでも多かれ少なかれ打算はあります。

アガペー(無償の愛)なんて理想の世界の話かも知れません。

でも露骨にそういう事をする人を見ると

以前は腹を立てていましたが最近はかわいそうな人だと思うようになりました。

サラリーマン時代、ある程度の役職にいたときすごく親しくしていて

仕事を離れても家族ぐるみのつきあいをしていた人が

私が会社をやめ自営業を始めると全く音沙汰が無くなりました。

その人にとって私とのつきあいは仕事の為だけだったようです。

程度の差はあるものの会社をやめたとき、そういう人を何人も見ました。

今ではその人たちに心から感謝しています。

本当に良い人生勉強をさせてもらったと。

その事を親友と酒を飲みながら話すと彼は

「結局、おまえが死んだとき葬式にきてくれる者だけが本当の友達や。

嫁さんの葬式には打算で来る奴がおるからな。」

死なないとわからないのはちょっとつらいですね。

でも商売が大変で苦しかったとき、陰で支えてくれた人も何人かいます。

そういう人の事は死ななくても友人だとわかっています。


2006年12月14日

映画村その3

翌週はサイン会の会場整理。

サインをするのは山城新伍。

実は彼、15年前に白馬童子でブレイクした後あまり目立っておらず

前年”白馬童子よ何処へ行く”という本を出して再デビューを果たそうという時でした。

そして一冊5百円也の本を買ったら本にサインをして握手をしようという企画です。

ところが開場時間になっても客は2,3人しか来ません。

彼もがっくり、私たちもすることが無くしらけていました。

その時別の場所で歌謡ショーが始まる予定だったので急遽サイン会を取りやめそちらへ。

そして満員の客の前で司会者が紹介、今本を買うとサインをしますと言うと

舞台の下から五百円札を手に持った人が我も我もと前に詰めかけます。

群集心理とは恐ろしいもの、会場は殺気立ち、

バイトの私たちは舞台へ上がり山城新伍や他の俳優ががサインをした本を持っては舞台の前へ行き

金と引き替えに本を渡すという作業をしました。

そして100冊あった本はあっという間に完売しました。

彼は余程嬉しかったんでしょう、

舞台から降りると私の手を両手で握り何度も何度も有難うと言っていました。

その後順調にカムバックでき”ちょめちょめ”などで有名になったのは

皆さんご存知の通りです。

2006年12月13日

先輩だったとは

ある会で知り合ってもう7,8年になる I さんがいます。

先日私の店へ来られ、

「ブログを読んだけど大学は京都と書いてるね。何処?」

「立命です。」

「一緒じゃがー。」

「えーっ。」

世の中狭いもんです。

ブログ書いてなかったらあと5年たってもわからなかったでしょう。

来週二人で同窓会をします。

2006年12月12日

映画村その2

オープン2日目も駐車場の整理。

すると11時過ぎに突然一人の社員が走ってきてすぐレストランに行けとのこと。

レストランに行くとそこは大パニック状態。

すぐそこにある白衣を着てウエイターをしろと言われ、

何も知らないまますぐに料理運び。

いやはやひどいところでした。

システムも何もあったものではありません。

これでも儲かるのだから商売とはわかりません。

                            (続く)

2006年12月11日

焼酎サーバー

ついに買ってしまいました。

焼酎を入れておくと味がまろやかになるそうです。

飲んでみたけどいつもと同じくおいしくてよくわかりません。

でもまっ、おいしいからいいかな。

私の財産が一つ増えました。

他には今年1月に買った酒燗器、

ずっと前に買った冷酒器(氷で酒を冷やすタイプ)、

高性能ワインオープナー(セットして回しているとコルクが抜けるもの)

全部大事です。

死んだら棺桶に入れてもらおうかな。


2006年12月10日

映画村その1

数々のバイトの中でも特に変わったものはあの有名な京都太秦の東映映画村です。

ここでは色んなことをしました。

映画村オープン初日は正面駐車場の整理です。

ところがスタッフもこんな事をするのは初めて(みんな東映の社員)だから

マニュアルも何もあったものでは無くただバタバタするだけ。

バイトに指示出来る人もいなくてんやわんや。

しかも悪いことに(?)予想をはるかに凌いで次から次へと来場者の波。

駐車場はめちゃくちゃ。映画村の中も人、人、人でめちゃくちゃ。

6時に閉村したときにはもう元気な者はいませんでした。

バイトの一部がひどすぎると文句を言い出しました。

すると幹部達がひそひそ。

明日もバイトが来ないと(明日は日曜日)大変な事になると思ったらしく

1日3千円だったバイト代に大入り袋として500円追加してくれました。

                                    (続く)

2006年12月09日

火事場の馬鹿力

これは本当だと私の父親が言っていました。

昭和20年代のことですが隣家が火事になり両親は大慌て。

父は傍らにあったミシンをぐっと持ち上げ外に飛び出しました。

(その頃のミシンはすごく重く値段も高く嫁入り道具の1つでした。)

父はミシンを持って庭を走り、

そこにあった溝を飛び越え無事安全な場所に置いたのです。

幸い火事は小火(ぼや)で終わり持ち出したものを家に戻そうとして愕然としました。

何とそのミシンが持ち上がらなかったのです。

そのミシンは今でも両親宅にありますが確かにずっしりと重く、

持ち上げて走るなんて若い頃の私にも無理でした。

人間、金がかかると強いですね。

2006年12月08日

箸屋

大学に入って最初のバイトは四条河原町と烏丸の中間にある箸屋さんでした。

とても良い場所なので観光客が大勢買いに来られます。

外国人もしょっちゅうだったので得意(?)の英語で必死に接客しました。

皆さんもご存知のように高級店の箸は良い材質できれいな袋に入っています。

大衆店では箸立てに裸で入っています。

少しましな店は普通の箸が袋に入っています。

この袋に入れる作業もずいぶんやりました。

左手に箸袋の束を持ち、右手で箸を1本ずつ刺していきます。

慣れたら10分で1000本ぐらいはできました。

ところがここで不思議に思ったことがあります。

きれいな袋にきれいな箸。

これを10分触った私の手はどういうわけか真っ黒でした。

この箸で皆さん食事をされるのですね。

2006年12月07日

知識と経験

次男が車を買うので見積書を見たらびっくり。

車庫証明を代行するのに16800円とあります。

こんなもの30分もかかりません。

私がするからとカット。

車の下取りがわずか6万円。

9ケ月前に34万円で買ったのに。

しかも下取り手数料とか下取り査定料とかが4万円ぐらい

別の場所にそっと書いてある。

トータルすると下取り価格は2万円。

車検がまだ1年3ケ月あるのに.........。

これもカット。

知り合いに5万円で売ったら喜ばれます。

車屋が勧めるローンが7.5%。

取引銀行に頼んだら2.8%。

経験や知識が無いと損をするのがよく分かりました。

2006年12月06日

ラムネの検品

こんにゃくのつぎはラムネ製造です。

コンベアーに乗って次々にできてきます。

と、言えばカッコいいのですが

ガッチャン、ガッチャン言いながら一回りしてできたラムネは検品しなければいけません。

検品方法ですか?。

電気スタンドの前でパッとひっくり返します。

ガラス片がキラキラ輝きながら落ちてくるのが見えたららアウトです。

(これは従業員が休憩時に飲みます。

1/5残したら良いそうです。)

私が未だに何とも無いからこの検品方法は正しかったのでしょう。

2006年12月05日

ここ一番で思うこと

先週の火曜日、私も妻も少し風邪気味なので元気をつけるため晩ご飯は餃子に決めました。

仕事場と自宅の中間に”餃子の王将”があります。

私は仕事が終わってすぐ王将に電話、今から行くからと持ち帰りを注文。

順調に店に着き、順調に餃子ができ、順調に車に乗り自宅へと向かいました。

店を出て150m、前が少し詰まって停車。

でもすぐ動き出したので軽くアクセルを踏みかけたとたん

大きな音とショックがあり私の顔は天井を向きました。

後続車に追突されたのです。

その時私の頭の中に浮かんだのはただひとつ。

「ああ、餃子が冷める。」

これしか考えられなかった私って.................。

2006年12月04日

蒟蒻屋

高校、学生時代、数々のバイトをしました。

一番最初は高1の夏休み、ラムネ屋に行きました。

ところが行ってびっくり、そこで最初にやらされたのが蒟蒻製造でした。

実はそこのラムネ屋さん、同じところで蒟蒻も作っていたのです。

蒟蒻の粉に水と炭酸ソーダを入れてかきまぜながら熱していきます。

できたどろどろ状態の物を型に詰め、熱湯につけて茹でます。

そしてできあがった蒟蒻を切り取りながら水槽に投げ込みます。

これが暑いわ(体)熱いわ(手)で地獄でした。

根性の無い今の私にはもうできないでしょう。

冷房のないサウナ室のような部屋でがまん大会をしているようなものでした。


2006年12月03日

男子マラソン

今回も期待は裏切られました。

思えばロス五輪の瀬古選手以来ずっとの気がします。

有望な若手が台頭してきて将来が楽しみだと思ったら伸び悩み。

これの繰り返しで世界との差は開くばっかり。

女子はと言うと次から次に優秀な若手が出てきて、

それに負けじと実力選手が好成績をあげる好循環。

いつの日か男子の記録を女子が追い抜くかも................。

2006年12月02日

イベント

今日からガス器具販売のイベントがあります。
先月に続いて2回目です。
前回予想を上回って多くのお客様が来られ、
今回はもっと多いはずだそうなのでコーヒーが切れないよう注意します。
開業時はイベント開催時期は、春は5月、秋は9,10月が中心でしたが
最近は11月に移行しています。
先月ウチにコーヒーサービスの依頼があったのは9件で日曜日は殆どつぶれてしまいました。
今月も師走というのに4件あります。
来週からはギフトの配達も始まります。
お坊さんと一緒に私も走ります。
間隙を縫って忘年会も端から消化していきましょう。

2006年12月01日

井伏鱒二

福山出身の彼は高校の大先輩です。

太宰の師であったこともあり親近感を持っています、

有名な”山椒魚”を晩年に書き換えたバイタリティーには

畏敬の念を覚えました。


花にあらしの たとへもあるぞ さよならだけが 人生だ