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2007年01月31日

ロス・アンジェルスその2

アメリカでの最初の食事が牛丼だったので

夕食は必ずステーキを食べようと決心しました。

今から20年前、日本ではステーキはとても高級で

口にすることは殆どありませんでしたから。

ホテルに戻ると夕食の為に外出しました。

ハリウッドの通りを歩いていくと大衆食堂のような雰囲気の

こじんまりとしたレストランがありました。

外観もあまり綺麗でなく、ここなら安いだろうと思い

店頭のメニューを見るとステーキは約千円でした。

その頃日本では2千円以上したものですから

迷うことなく店内に入りステーキを注文しました。

そして出されたステーキの大きさは靴底ぐらいあり喜んで食べようとしました。

ところが少し感じが違うのです。

ステーキソースがかかって無いのです。

ひょっとして味がつけてあるのかと思い、一口食べました。

全く味がついていませんでした。

しかもパサパサ肉で少しもおいしくありません。

テーブルの上にある調味料はドレッシングと塩だけです。

仕方なく塩をかけて食べましたが全くおいしくありません。

無理して頑張って食べましたが1/3ぐらい残ってしまいました。

ついに気持ちが悪くなったのです。

ステーキを残すなんて考えもしませんでした。

こうして悲惨な食事の1日目が終わったのです。

いや、良いこともありました。

ホテルに戻ると1Fロビーの片隅にバーがあるのを見つけました。

そこに座りウィスキーを注文したらすごく安いのです。

高い銘柄が置いてあるのに1杯が200円から300円です。

そこで飲み始め、ふと隣の客がつまみにナッツを食べているのに気付きました。

バーテンダーの女性にナッツを頼むと彼女はにっこり笑い、

大きなシャンパングラスを持ったかと思うとナッツの入ったトレイにそれを突っ込み

ナッツを山盛りにして私の前に置いたのです。

それが200円ぐらいでした。

日本なら20粒ぐらいで500円取るのに..............。

そのナッツを全部食べるためにウィスキーを何杯も飲むことになりました。

2007年01月30日

安く飲んだのに

月曜日の夜、知人のTAさんと飲みにいきました。

話は盛り上がり楽しく過ごしました。

割引クーポンがありすごく安く飲め、大満足でした。

ところがTAさんは別れて家に歩いて帰る途中

近道をするため細い道を通りました。

充分飲んで酔っていた彼は、そこで細い川にはまり尻餅をついたのです。

着ていたスーツはびしょぬれで高いものにつきました。

タクシーで帰ったら安く上がったでしょうに。


2007年01月29日

新年会

土曜日は新年会。

もつ鍋パーティーでした。

いつもながら会場を提供し、

料理も準備してくださるKさん一家には感謝感謝です。

Fさんは愛飲のドイツワインを持ってきてくれました。

これがすごくおいしい。

ワインには無知な私ですが今まで飲んだ中で最高でした。

ふぐひれ酒もありました。

私が持っていったのはバーボン。

”ペニーレインでバーボンを”の世代が多く、話が盛り上がります。

大吟醸ありエビスビールありで至福の時間を過ごせました。

2007年01月28日

ロス・アンジェルスその1

平成元年の2月、大阪の伊丹空港から成田空港経由L・Aへと向かいました。

ロス・アンジェルスをよくロスと略しますがロスというのはスペイン語の冠詞です。

英語のTheと同じでロス・プリモス、ロス・パンチョスのロスだといえばおわかりでしょう。

初めての飛行機での長旅、私は貴重品を入れたバッグを機内に持ち込み足元に置きました。

それが失敗の始まりでした。

狭いエコノミーの座席、身動きがとれません。

途中ですごく気分が悪くなってきました。

今思えば当時は言われなかったエコノミー症候群だったのかも知れません。

辛かった時間も何とか過ぎ、アメリカ大陸が見えてきました。

北から来ているので見えているのはカナダのロッキー山脈でしょう。

心が高ぶってきました。

学校で習った地理が頭に浮かんできました。

夕刻に東京を立ってその日の朝、L・Aに着きました。(時差の為)

カリフォルニアの太陽は強烈でした。

添乗員から荷物は絶対離さないように注意がありました。

バスで移動が始まり添乗員が言いました。

「これからバスはディズニーランドへ向かいます。

行きたくない人はここで降りて夕方までにハリウッドのホテルに集合してください。」

私はディズニーランドに興味が無かったのと一人旅のスリルを期待していたので

迷うことなくそこで降りました。

すると40人ぐらいのうち降りたのは私を入れて4人でした。

バスが走り去り一人が

「まず昼食にしよう。」

と言い歩き出しました。

あとの3人がついていくと目の前に店が現れました。

その店はなんと なんと ”YOSHINOYA"です。

何でアメリカまで来て吉野屋なんかにと思いながら仕方なく入りました。

牛丼は”ビーフボウル、”味噌汁は”ミソスープ”です。

悲しい思いでアメリカ第1食目を食べ終わりました。


2007年01月27日

旅行嫌い

若い頃、変に旅行が嫌いでした。

遠くにあこがれることが下品な気がして。

私の育った福山には隣に有名な尾道がありました。

そこに日本全国から観光客が来ます。

皆、近くにすばらしいものがあるのに無いものねだりで他所に憧れるのだと。

だから本格的な旅行は学校の修学旅行以外、前述の北海道旅行が初めてでした。

それからは学生の気軽さもあり 東京にはもう何度も行きました。

(マイペースの”東京”みたいですね)

就職してからは出張で大阪、名古屋にはよく行きましたが

旅行なんて考えませんでした。

ましてや外国なんて。

そんな私が平成元年、仕事の関係でロス・アンジェルスとハワイにいくはめとなりました。

2007年01月26日

今年もあと,,,,,,,

正月がずいぶん前のように感じます。

20日間にいろいろな事がありました。

仕事でも、生活でも。

次の区切りはゴールデン・ウイークです。

そして盆休み。

休みと休みの間にいろんな事が起こり、

終わり、過ぎ去っていきます。

そして1年が矢のように去っていきます。

今年もあと340日です。

2007年01月25日

奇遇

大学1年夏にあった同窓会でMがぐでんぐでんになっている頃、

私は早稲田に行ったYと話していて

秋の早慶戦がある時東京に行くことになりました、

隣にいた共立薬大に行った女子Kが

「東京に来たら連絡して。」

と言いました、

そしてその日が来て私は夜行バスに乗り朝の東京に着きました。

Yが八重洲口まで迎えにきてくれて昼の早慶戦に行きました、

聞けば私たちの高校から早稲田に行った者は稲門会というのを作っていて

その会が集まって応援に行き、夜新宿で飲むそうです。

その会に合流させてもらい応援に行きました。

そこには幼馴染の女の子Aがいて私を見てびっくりして声をかけてきました。

彼女は今カナダ人と結婚し、バンクーバーに住んでいます。

そして夜、Kに電話して東京に来たことを告げると

「えー、明日M君が来るよ。」

と言うのです。

札幌にいるはずの浪人生がです。

MはKだけに連絡して東京に来るのです。

何て奴だということで話が決まりMをだますことになりました。

翌日MがKと待ち合わせた場所に私が行き、YとKは隠れて見ていました。

すると予定通りMが表れました。

Mはきょろきょろしながら前を通り過ぎていきました。

女の子だけ探しているのだから気がつきません。

何度かこちらを見ているうちにぱっと視線が止まりました。

びっくりした顔になりやっと声が出ました。

「おまえ、何でここにおるんにゃ。」

私は笑いを止められませんでした。

YとKも出てきて大笑いです。

その夜はMを肴に大酒を飲みました。


2007年01月24日

捏造納豆

今、大騒ぎしています。

私に言わせたら ほんと

「馬鹿じゃなかろか」

の一言です。

当事者のテレビ局にです。

その他のマス・コミにです。

騙されて買った消費者にです。

まず関西テレビ。

いつもやっていることとは言え、

馬鹿な聴視者をだますのも適当なところでやめときなさい。

調子に乗ってやりすぎるから大事になるんですよ。

その他のマス・コミさん。

鬼の首を取って浮かれちゃいけません。

次はあなたの番ですよ。


最後に騙されて買った消費者さん。

これで少しは賢くなれましたか。

なれたら関テレに感謝してください。

無理ですよね。

今まで何度騙されても凝りないんですからね。

今まで痩せるといわれて何をしましたか。

指を折って数えたら指が足りないでしょう。

にがり、寒天、リンゴ、etc.

みのもんたの番組も害が多いようですから一緒に打ち切ったらと思うのですが。


2007年01月23日

同級生

岡山市内にある病院に福山での同級生がいます。

その病院の院長の奥さんで薬剤師です。

彼女とは小学校の4、5、6年生が同級でした。

中学、高校とも同じ学校でしたが同じクラスになることはありませんでした。

特に親しかったわけではありませんが数年前、高校の同窓会が幹事年だったとき

広告を集めたりで30数年ぶりに話をし、とても懐かしく感じました。

福山から岡山へ来る人は意外に少なく同窓会名簿を探しても殆どいません。

ですから同郷とか同窓というだけですごく親近感を感じます。

オーストラリアに旅行したとき中国人にも親しみを持ったものです。

やはり人間は本能的に孤独を厭がるものなのでしょうね。


2007年01月22日

マイナースポーツ

先日、新聞の投書欄に面白いものがありました。

高校サッカーで岡山代表が準優勝したとき、

市長を始め多くの応援団がいたことについて

どうして野球やサッカーだけ特別扱いするのか、

どんなスポーツでも生徒は一生懸命やっているのに。

と、いうような内容でした。

この事について私の感想は

「野球やサッカーは人気があるのだからしょうがないでしょう。

別に応援してもらいたくて部活に入ったり練習しているわけじゃあるまいし。」

と冷たい意見です。

実は私の高校時代この事でもめた思い出があります。

私の高校には伝統?ある応援団があり

竹刀片手に厳しい応援練習を1,2年生に強要していました。

先生達は笑いながら見て見ぬ振りでした。

夏の高校野球が近づいた放課後、

応援練習をする為、全学年に講堂に集合するよう放送がありました。

ところがその日参加者が100人くらいしかいなくて(全員なら1200人)

応援団が激怒しました。

ところがその時生徒の一人が

「我々は来ているのに何で怒られないといけないんだ。

来てない者への怒りを我々にぶつけるのはおかしい。」

と正論をぶつけました。

それで応援団も冷静になり、何故こんなに集まりが悪いのかと皆に質問してきました。

すると封建的なやり方に抵抗するとか、面倒だとか、

どうせ応援に行く気がないのに練習する必要は無いとかいろいろ意見が出ました。

その時バスケ部のキャプテンが立ち上がり

「自分たちの試合に一度でも応援に来たことがあるか。

自分たちの練習時間を削って、何故野球部の為に応援練習しないといけないんだ。」

と言い放ったのです。

応援団は答えることができませんでした。

でもこの応援団だって別に悪いことをしているわけでも無く、

責められるのはかわいそうでした。

しかもこの後応援団は本校である対外試合はどの競技でも応援するようになりました。

誰も見ていない試合のそばで校旗を持って立っている姿は哀れでした。


2007年01月21日

都道府県対抗男子駅伝

残念でした。

今年の広島は期待したのに。

第1回大会、アンカー勝負で見事優勝した時の光景が目に浮かびます。

今回中学駅伝、高校駅伝、実業団駅伝と広島が優勝しました。

それを足したら当然優勝、といかないのが駅伝です。

でもレースはすごく面白かったです。

兵庫が長野に雪辱を果しました。

沖縄が過去最高順位でした。

佐賀のアンカー飛松の快走。

九州勢の大活躍。

残念ながら青森は定位置。

今から選抜女子駅伝を見ます。

今日は駅伝三昧です。

2007年01月20日

肝臓

知人の見舞いに行きました。

大酒呑みで普通の人の3倍くらい飲む人です。

ついに肝臓の限界を超えたようです。

正月用に高い酒を用意していたのに全然飲みたくなかったそうです。

もう酒はやめると言ってました。

その人の分まで代わりに飲んであげると約束しました。

2007年01月19日

徹夜労働

早くから知っていましたが中々行く気になれないバイトがありました。

下宿の近くにある大日○印刷工場です。

経験者が語る悲惨な話に二の足を踏んでいました。

1年の秋に早稲田の友人が早慶戦に来いと誘ってくれ、

旅費を稼ぐためについに応募しました、

夕方6時から朝6時まで働いて5千円もらえます。

その頃 昼8時間働いて2千円程度でしたから金額は魅力です。

仕事は印刷で出た不要紙をプレス機で固めたものを機械から外し

別の不要紙をセットするのです。

大きなプレス機のそばで働くのですからとても危険です。

今思えばよくあんな危険な仕事を無防備な学生にさせていたものだと思います。

夜食がついていて食堂に行くとどんぶり飯に豚汁、漬物でした。

刑務所でも もっと良いものを食べさせてくれるのではと思いました。

でも食堂にあるタバコの自販機を見てなるほどと思いました。

ハイライトが一番高く、ずらりと並んでいたのは

”いこい”や”ひびき”、”エコー”でした。

眠気と戦いながら何とか朝まで働き、現金を受け取って下宿へ帰る朝

ふと思ってすぐそばにある広隆寺へ行きました。

6時すぎの広隆寺は誰もいません。

観光地になっているため、いつ行っても参道は人であふれ

とても思惟に耽るどころではありませんが

その朝はその景色にざわめきなど無く何か心が洗われる思いでした。

今回のバイトで得たものは5千円と静かな広隆寺でした。

2007年01月18日

大震災

又今年もやって来ました。

大変な出来事でした。

私は震災後1ヶ月目に神戸へ行きました。

途中長田を通るとき、列車の窓から見える悲惨な現状に

乗客から悲鳴ともため息ともとれる声がし、

誰も喋ることすら出来ませんでした。

でもその日が来るたびにいやな思い出がよみがえります。

当時私は会社勤めでしたがそこにゴルフ好きのグループがいました。

彼らは2日後にプレーを予定していました。

前からの計画だからやりたかったのでしょうが、

私は自粛すれば良いのにと思っていました。

当然のように彼らは行きましたが問題はその翌日です。

彼らがロビーで話しているのが聞こえたのですが

何でも当日ドタキャンした者がいてペナルティーをゴルフ場に払わなければいけません。

その時悪知恵を働かせた者がいてゴルフ場に

「先週名古屋に出張に行ったものが震災で帰れなくなった。」

と嘘を言ったのです。

それを聞いたゴルフ場は

「お気の毒に。そういうことならお金はいりません。」

と言ったそうです。

それを得々としゃべる男を見て、コイツは性根が曲がっているとつくづく感じたものです。

こんないやな事は忘れたいのですが、この日が来るたびに思い出してしまう私です。

2007年01月17日

下戸が上戸に その2

北海道から帰って10日後、高3の同窓会がありました。

高3の同窓会ですから別れて5ヶ月しか経っていません。

それでもみんな東京へ行ったり広島へ行ったりとバラバラになっているわけですから

会うのが楽しみです。

当日はクラス42人の内、30人くらいが集まりました。

そこに浪人生が3人来ていました。

その中の一人がMでした。

福山駅の近くにある”養老乃瀧”の2階でどんちゃん騒ぎが始まりました。

担任の先生も来て酒だ、ビールだと大盛り上がり。

みんな大学のコンパで慣れたようで悪酔いする者はいません。

浪人の3人を除いては。

そうです、その3人が無茶苦茶になりました。

春には全く飲めなかったMが元気にぐいぐい飲みました。

そして後半は2階のトイレの個室を占領していました。

別の1人はトイレに行ったとき酔った勢いでズボンのファスナーを壊してしまい

手でズボンの前を押さえながら帰って行きました。

残りの1人は部屋で寝てしまい、ほっといたら寝たままでゲロを吐き出し、

女子の一人がかわいそうに始末をしていました。

しかしMはその時の修行のおかげでそれからはいくらでも飲めるようになり、

半年後には別の友人をいれて3人で日本酒を3升飲むほどになりました。

2007年01月16日

尻馬に乗る

誰かがミスをするとこれでもかと責める人達がいます。

マス・コミがその最たるものですが、その尻馬に乗って一緒に攻めまくる輩のいかに多いことか。

今は不二家がその矢面に立たされています。

勿論、不二家の不祥事は遺憾で言語道断ですが

その謝っている態度に追い討ちをかけて叱咤する姿は見ていて気分の良いものではありません。

元来日本には”惻隠の情”といったものがあったはずです。

日本中のブログで多くの立派な人たちが不二家を批判していることでしょう。

こんな時キリスト教信者で無い私でもこの言葉を思い出します。

”汝等の内罪なき者のみこの女を打て!”

以前雪印の社長が「私は寝てないんだ。」と言って激しく糾弾されました。

私は同情しました。

会社で管理職の経験がある人には他人事(ひとごと)では無かったでしょう。

何故その会社や個人がそんな事をしてしまったのか

少しは考えてあげても良いのではと思います。

その根本的なところを改善しないで責任者を処罰、制裁して終わらせるから、

同じような事件が続く結果になっているのではないでしょうか。


2007年01月15日

悲劇の北海道一周

朝、札幌を急行で出発し 目指すは様似のユースホステルです。

Mが「苫小牧の蟹飯が有名じゃけーそこまで我慢しょーやー。」

と言うので腹ぺこになりながら我慢し、昼過ぎに何とかありつけました。

期待していたほどおいしくありませんでした。

18歳には味より量が必要でした。

でもその後は順調に進み、ユースホステルで腹一杯食べることができ幸せでした。

摩周湖は霧で全く見えませんでした。

霧の中でバスが止まり、降りても5m先が見えません。

ガイドさんが「あちらが摩周湖です。」と言うのが空しく響きました。

網走へ行く途中の列車で暖房が入りました。

8月上旬なのに。

網走のユースへ入ると石炭ストーブが燃えていました。

昼食をバナナですませたりしながら節約旅行を続けました。

3日後旭川まで戻ってきました。

残りは北部です。

礼文島まで行く計画です。

しかしついに金が底をつきました。

二人で考えましたが考えても金はでてきません。

あきらめました。

涙をのんで帰ることにしました。

そのまま札幌経由函館へ。

青函連絡船の中でMが「記念にイカソーメンを食べようや。」

というのでなけなしの金で食べました。

食べ終わると全財産が30円になりました。

その金でお茶を買い、お茶で空腹をごまかしました。

秋田駅のプラットホームにある水道で水を補給し、

京都までの20時間水だけで我慢しました。

途中から話す気力もなくなり、ただ京都へ着く事だけを考えて.............。

京都に着いたらMが持っていた福山までの切符を払い戻して腹一杯食べることを夢見て。

ついに昼過ぎ京都に着きました。

勇んで払い戻しの窓口へ。

切符を差し出すと駅員さんが

「この切符には手荷物が付けてあるね。

先に荷物の窓口へ行って手荷物を小荷物に変更して来てください。」

荷物を送るとき乗車券があると手荷物と言って割安で送ることが出来るのです。

荷物の窓口へ行くと

「小荷物に変えるには差額が○○円必要です。」

愕然としました。

1円も持っていません。

切符を払い戻せたら払えるのに。

仕方なくあきらめました。

私の下宿は太秦の映画村のそばで駅から8kmあります。

とても歩いて行けません。

公衆電話の前で見知らぬ人に恥を忍んで10円もらい下宿に電話しました。

夏休み中でしたが下宿のおばさんに聞くと先輩が1人いました。

先輩に手短に事情を話すと金を貸してくれるというのでタクシーに乗り、

下宿で金を借り、すぐそばの食堂へ。

食べ終わるとすぐ駅に戻り鈍行を乗り継いで福山へ帰りました。

夜福山に着いたときはへとへとでしたが無事帰れた気持ちでほっとしました。


2007年01月14日

トイレの窓が出入り口

朝の6時についに札幌へ着きました。

のべ3日の旅でした。

今なら地球の裏側まで行けるかも...........。

予定通りMは迎えに来てくれていました。

早速彼の予備校の寮へ向かいます。

途中彼から寮の規則を聞きました。

寮は個室で夜10時以降は他人の部屋に行っては駄目。

部外者は家族でも泊めては駄目、もし見つかったら即退寮処分になる。

それを承知で私を泊めるのだから強心臓の持ち主です。

寮に着くと裏手に回り窓を指さしました。

「ここがトイレの窓じゃけー、中から合図したら入ってけー。」

Mが玄関へ向かいしばらくすると窓から

「えーど、入ってけー。」

私は窓によじ登り、中を見ると小便器のすぐ上でした。

荷物をMに渡し便器に足をかけて中に降りました。

Mが廊下を見てOKの合図を送ります。

急いで彼の部屋までたどり着き無事成功です。

無事でなかったことがただ一つありました。

窓から降りるとき釘が出ていて、ズボンがきれいにかぎ裂けになったことです。

それから1週間窓から出入りしながら札幌の町でおおいに遊びました。

よく話に聞くとおり時計台にはがっかりしました。

時計台の前まで行ってMが

「これじゃ。」

と言うまで気が付きませんでした。

地下鉄には感心しました。

まだ大阪に無かった自動改札口でした。

車輪がゴムタイヤなので静かで快適です。

大通り公園、北大、映画館、色々楽しみました。

いえ、楽しみすぎました。

金を使いすぎたのです。

Mと所持金を調べると殆ど残っていません。

これから北海道を一周する予定なのに。

心が暗くなりました。

次回は悲劇の北海道一周です。

(続く)


2007年01月13日

札幌は遠かった

今では記憶が定かではありませんが

確か大阪発が夜の11時ぐらいだったと思います。

7月の20日すぎ、阪急で大阪駅まで行き

暗いホームで長い間待ちました。

そして来た列車を見てびっくり、超満員でした。

席にすわるどころか、何とか乗れただけで通路にもいけません。

入り口の横にあるトイレの前に立ちっぱなしでした。

トイレに人が来るたびに窮屈に場所を空けドアがあくと臭く地獄でした。

それでも数時間経つと少し空き始め、何とかトイレの前に座ることが出来ました。

朝になると大分減り始めついに席に座ることが出来ました。

それからうとうと、目覚めて窓から駅弁を買い朝昼兼用の食事です。

前に学生らしき男性がいたので話しかけると気安く答えてくれ、

話しているうちに大阪大学の学生だとわかり軽い劣等感。

新潟まで来ると車内の言葉もずいぶん変わり聞き取れなくなりました。

青森についたのは夕方の5時頃でした。

18時間の過酷な急行列車の旅は終わりました。

フェリー乗り場のテレビで大相撲を放送していたのが記憶に残っています。

そしていよいよ青函連絡船へ乗ります。

これが何と函館まで約4時間です。

本当に日本は広いと思いました。

ところが函館についてここから札幌までまだ6時間かかります。

もうどうでも良くなります。

(続く)


2007年01月12日

キャンセル料

旅行会社に特急券を取りにいったら担当の人が

「普通席が取れなかったのでグリーン席を取っておきました。」

値段を聞いてびっくり、倍もします。

そんな高い券は買えないと言うと担当者はむっとした顔で

「じゃあキャンセル料○○円頂きます。」

仕方なく私は支払い、どうも腑に落ちないと思いながら帰りました。

今だったら絶対払いませんが18歳ではどうしようもありませんでした。

下宿に帰り、何とか方法はないかと必死で時刻表を探しました。

その頃、情報はそれしかありませんでした。

そして見つけました。

大阪から日本海をずっと青森まで行く急行「きたぐに」です。

これなら周遊券で乗れ特急料金もいりません。

これに決めました。

この決心があとにすごく尾を引いたのです。

(続く)


2007年01月11日

遠くに離れているはずが

大学に入るとき新大阪で別れの杯を交わしたMですが

1ヶ月もしないゴールデンウイーク前に札幌から電話があり

連休で帰省するからそのあと京都に1泊させてくれとのこと。

高校の同級生に京都で会うのは吹田にいる関西大に行ったSの次です。

何とも行動力のある男です。

そして京都の下宿に泊めて話をしていたら

夏休みには北海道旅行をしようということになり

5月6月は必死でバイトをして資金を貯めました。

そして7月ついに北海道へ旅立ちます。

資金も何とか貯まりました。

ユースホステルの会員にもなりました。

旅行会社へ北海道の周遊券と札幌までの特急券を申し込みました。

この旅行の最初のつまずきがここから始まりました。
   
(続く)

2007年01月10日

全日本大学女子選抜駅伝競走大会

またまたやってくれました。

大会が始まって以来負けなしの4連覇です。

力的には名城大に負けるぐらいなのに1区からずっと首位での優勝です。

コーチは学生を大人として扱い、練習も自主的にやらせているそうです。

それに答えて結果を出す選手は素晴らしいの一言です。

私の遙か後輩たちですが逆に目標にさせてもらいます。

2007年01月09日

パソコン

パソコンを買って5年ぐらいです。

世間の動きに少しはついていかないとと思って買いましたが

起動と終了しかわからず、次にトランプゲームだけ覚えて

1,2ケ月はそのままでした。

そんなある日100円ショップでその名前は聞いた事のある

ワードとエクセルの本を各100円で売っていました。

それを買って猛(?)勉強をしたので何とか基本的なことができるようになり

それで2年が経ちました。

それからインターネットを始めたのですが

今ではなくてはならないものになりました。

今、仕事場に1台、自宅に2台、息子2人もそれぞれ1台で

全部合わせると5台あります。

10年前には全く考えられないことでした。

この先10年後どうなっているのでしょうか。

私には想像できません。

2007年01月08日

時代祭

京都で面白いバイトに時代祭がありました。

京都では町内会毎に各時代を担当し、その時代の衣装を保管しています。

祭りの当日、私は友人と一緒に指定された公会堂に行き、

衣装をつけました。

私達は鎌倉時代にあたり、

私は足軽の姿に、友人は武将で鎧甲をつけました。

友人は衣装が重いと不平を言っていました。

こんな格好で足が痛くなるわらじをはいて4.5kmも歩くのですから大変でした。

私は友人より運が良かったと思いながら歩いていると、

白人の女性がカメラを持って声をかけてきました。

私はサービスでそちらを向きポーズを取ると

その女性は眉間にしわを寄せ、手で追い払うようにします。

彼女の視線を追い振り向くとそこには鎧甲の友人がいました。

私はすごすごと場所を離れました。

2007年01月07日

下戸が上戸に その1

Mは高校時代、当たり前ですが酒が全く飲めませんでした。

高校時代のある夏、数人で友人の家に遊びに行きました。

その友人の父親は小学校の教師でした。

ところがそこの母親がM達に出した飲み物はビールでした。

暑かったからとは言え、理解できない母親でした。

でも皆はそれなりに飲めたのですが、Mだけはだめでした。

ビールがきつくて飲めません。

仕方なく彼はビールを水で薄めて飲みました。


高校を卒業して私は京都の大学へ、Mは札幌の予備校に行くことになりました。

新大阪まで一緒に行き、

私は阪急電車で京都へ Mは伊丹から飛行機で札幌へと別れるとき

別れの杯を、ということになり 

新大阪の駅ビルのレストランでビールを1本頼みました。

しかし彼は最初の1杯が半分までしか飲めず後は私が全部飲みました。

こんな彼がどう変わっていくかお楽しみに。

2007年01月06日

蟹の食べ放題

2月の連休に玉造温泉へ行きます。

町内の消防団員とその家族がメンバーです。

蟹の食べ放題があると聞きましたが、

私たちの年代は食べ放題といってもそんなに喜びません。

蟹なんて1杯も食べれば充分だからです。

量より質を好む歳になりました。

でも酒は質も量も望んでしまいます。

人生50、未だ不惑にならずです。

2007年01月05日

仕事始め

昨日から仕事を始めました。

3日まで飲みまくっていたので4日は心を鬼にして休肝日。

それと食事量も減らして体重を元に戻します。

有り難いことに初日から新規取引の商談です。

今年はいいことありそうな予感がします。

2007年01月04日

こいつぁー春から

岡山健康ランドが元日の新聞に「お年玉プレゼント」の広告を載せていました。

毎年のことですが年賀葉書の番号で入館料無料などのプレゼントをしています。

無料入館券が当たるのは”777”です。

こんな調子のいい番号があるはず無いと年賀状を見てみると

「あった!

ありました。」

義兄からのものでした。

裏面には

「長男の就職が決まり、良かったですね。これから私達が楽しみましょう。」

とありました。

幸先良いスタートです。

今年一年楽しみます。

2007年01月03日

箱根駅伝

正月休みも今日で終わり。

昨日は家族そろって福山の実家へ行きました。

子供が大きくなると全員のスケジュールを合わせるのは大変です。

もっとも私たち夫婦はどうにでもなるのですけれど,,,,,,,,,,。

でも全員が運転できるので私は大助かり。

往復は長男が、母親を買い物に連れていくのは次男がと。

私はというとひたすら酒びたり。

数年前には考えられなかったことです。

今日は安近短温泉で箱根駅伝を見ることにしましょう。

明日から又、一年が始まります。

2007年01月02日

ニューイヤー駅伝

高3まで広島県で過ごしたので未だに広島に強い愛着があります。

岡山に来て18年経ったのに今でも広島県人だと思っています。

12月の高校男子駅伝で広島の世羅高校が優勝し

元日のニューイヤー駅伝で中国電力が優勝しました。

油谷選手も尾方選手も頑張りましたが佐藤敦之選手の走りには思わず涙が出ました。

同じコースを走ったホンダの山口選手の完走も立派でした。

一人で走るマラソンと違い、

一人ひとりが責任を持って走る駅伝の魅力は素晴らしいものがあります。

2日、3日は箱根駅伝です。

昨年シード権に一歩及ばず泣きながら手を合わせゴールした

早稲田の主将の姿は今でも目に焼きついています。

今年も数々のドラマを見せてくれることでしょう。

2007年01月01日

純米大吟醸

年末に清酒の頂き物が続きました。

私の酒好きは知れ渡っているのでしょう。

改めて内容を見たら純米酒が2本、大吟醸が2本、

そして何と純米大吟醸が1本ありました。

笑いが止まりません。

まるで正月です。(本当に正月です。)

今頃は純米酒といっても大手メーカーがくず米で作ったようなものもあるので

吟味が必要です。

この酒たちを心行くまで飲んで今年も一年マイペースでいこうと思います。