« 2007年02月 | メイン | 2007年04月 »

2007年03月31日

セ・リーグ開幕

いよいよ始まりました。

私は広島カープのファンです。

長い間Aクラス入りもありません。

逆指名やFAがいかに金のある一部の球団に貢献したかが

如実に表れています。

企業努力だという意見もありますが

広島のようなローカルで独立採算を強いられている球団には無理な話です。

さて今年は何月まで興味を持って観ることができるでしょうか。

10月とは言いませんが、願わくば夏の終わりまでいけますように。

2007年03月30日

同じ考え

伸城の石田さんがブログ(3/29)で

松井が甲子園で全打席敬遠されたことについて書いておられます。

あの時高知の明徳高校はすごい批判をあびました。

組み合わせ抽選に出てきた主将に対し

観客から帰れコールが起き主将は泣き出しました。

私はあの時観客に腹がたちました。

非難されるべきはおまえ達だと。

高野連も明徳を批判しました。

どうしようもない組織だと感じました。

東洋大姫路の監督も注意されたことがあります。

彼はストライクボールをすべてカットし

フォアボールで出塁する選手を育てたのです。

私はアイデアとその技術を身につけた選手に感心しました。

高野連とはいつも考えが逆です。

松井の時も敬遠して当たり前だと思いました。

90%以上の確率で打たれるのがわかっていて勝負するのは

決して正々堂々とは言えないでしょう。

試合を捨てたも同然でしょう。

私の考えがひねくれているのかとも思いましたが

賛同意見を聞いて嬉しく思いました。

2007年03月29日

時代の変化

用事で市役所に行った時、張り紙を見て吃驚しました。

この時期、日曜日も開けているそうです。

転入、転出が多く尚且つ平日が休めない人も多くいます。

それに対応しているのでしょうが、

時代も変わったなーと思いました。

私が大学に入るため京都に行き、

京都右京区役所に転入届けを出しに行ったのは34年前です。

区役所に着いたのが12時少し前でした、

すると午前中の受付はもう終わっていて

職員は残務処理を終えて昼休みに入りました。

出直すことも出来ず照明が減ったロビーで1時まで待ちました。

これが当たり前の時代でした。

このことを書いていて思い出したことがあります。

今から27年前のことです。

旅行で京都から奈良へ行くため

近鉄京都駅で切符を買おうとしたときです。

私が窓口で

「奈良までお願いします。」

と言いましたが窓口の年輩の男性は何も言いません。

そこでもう一度

「すみません。奈良までお願いします。」

と言うと、その係員は

「わかっている。早くお金を出しなさい。」

と言うではありませんか。

今なら一喝するところですが私も若かったので黙って払いました。

国鉄に限らず私鉄までこんな営業をしていた時代だったんですね。

2007年03月28日

フォーク世代その3

たくろうから少し遅れて台頭してきたのが井上陽水です。

たくろうのファンは男が多く陽水のファンは圧倒的に女でした。

曲もさながら詞の内容と風貌も影響したのでしょう。

私は陽水が嫌いと言うでもなく時には聴いていましたが

彼は時々訳のわからない詞を創るのでそこは理解できませんでした。

軽いところでは”傘がない”もっといったのは”氷の世界”です。

後にパフィーが歌った”アジアの純真”につながるものです。

なんだかんだ言っても歌はやはり判り易いものがいいですね。

2007年03月27日

春の雨

今日は一日雨が降っています。

でも冬の冷たい雨とは違います。

小椋佳の歌に

”春の雨は優しいはずなのに,,,,,,,,,,,,”

を思い出してしまいます。

2007年03月26日

大相撲

小学校低学年の時メンコ(福山ではぺっちんと言いました)には

野球選手と相撲取り、俳優と漫画のヒーローがありました。

今でも記憶にあるのは相撲取りでは大鵬、柏戸、大豪などです。

小2の時、友達の家で千秋楽の結びの一番 若乃花、栃の海の取り組みを見て

興奮してそのまま学校に行き砂場で相撲を取ったものです。

好きな力士はマスコミの力による大鵬もいましたが

吊りの明武谷、関脇大豪、広川なども応援していました。

佐田の山が優勝した場所で引退を発表した時

”かっこいー”と思ったものです。

北の富士と清国は同時に入幕しました。

その時から2人を応援し、それぞれ横綱、大関と大成しました。

その後も北の湖など玄人受けすると言われる力士が好きでした。

その私があまり見なくなったのはいわゆる”若貴ブーム”と言われる頃からです。

相撲協会は金儲けの為、昔からのファンをなおざりにして

ミーハーのファンを対象に販促をしてしまったようです。

昨日の千秋楽、残念でした。

結びは朝青龍が千代大海の猪突猛進を逃げて勝ち、

決定戦は白鵬が朝青龍をはたき込みで勝ち。

勝負にこだわりすぎです。

私たちは勝ち負けを見たいのではありません。

これぞプロという大一番を見たかったのです。

外国人が多いのは仕方ないと思いますが

力と技の大相撲を期待します。

2007年03月25日

氷が溶けると?

テレビ番組に物理学の教授が出て話していました。

温暖化で氷が溶けても海面は上がらないと。

長年の疑問が解けました。

そうです。

コップに氷を浮かべた水をぎりぎりまで入れ、

氷が全て溶けても水は溢れません。

それなのに世間では温暖化で地球は水浸しになると騒いでいました。

私は自信が無いので黙っていましたがおかしいとは思っていました。

何故今まで専門家は黙っていたのでしょう。

北極は当然ですが南極の地上にある氷が溶けても問題は無いそうです。

さらに南極の平均気温のマイナス60度が5度や10度上がっても氷は溶けないと。

言われたらその通りです。

又、今の地球は寒すぎるんだそうです。

日本のある、温帯が一番住み易いというのが常識になっていますが

実際は熱帯だそうです。

その証拠にインドやインドネシアなど熱帯に住む人間がもっとも多く

シベリアなど寒いところに住む人間はわずかです。

シベリアなどからマンモスの化石が出るように昔はもっと暑かったんです。

私はへそ曲がりなのでこういう常識を覆すネガティブな話が大好きです。


2007年03月24日

フォーク世代その2

たくろうが”結婚しようよ”の大ヒットで有名になると

フォークファンから大ブーイングを受けるようになりました。

フォーク歌手は貧乏でスポットライトの当たらないところで

社会に反発しながら生きていくのが正しい道だとされていたからです。

たくろうがテレビに出たのも叩かれました。

本人もテレビに出ないと言っていたのにということです。

マスコミにもてはやされた たくろうは 

もうフォーク歌手じゃ無いといわれました。

でも彼の反論も出ました。

「自分はテレビに出ないといったんじゃ無い。

時間に追われるため、最初から最後まで歌って一つの作品となる歌の

1番だけ歌ってあとはカットするような番組には出ないと言ったんだ。

ミュージックフェアのようにじっくりと歌える番組なら出ない理由は無い。」

筋の通った反論でした。

私はたくろうの歌は好きでも彼の無礼で傲慢なな振る舞いなど

人間的にはファンではありません。

だから純粋に歌だけ楽しんでいました。

そしてそのあと彼がアルバム”元気です”を出した時

そのすばらしさには改めて感心させられました。

2007年03月23日

城山三郎さん

城山さんが亡くなりました。

月並みな言葉ですが惜しい人を失いました。

彼の著作は文庫になった物は随分読みました。

経済小説とジャンル付けられましたが

よく読んでみると人間小説だったと思います。

自分の体験から戦争反対を心の底から主張しておられました。

最近の世の中、勇ましい事を言う人間がもてはやされています。

でもその結果戦争になって傷つくのは

深く考えずにその言葉を支持した一般人です。

言った人たちは安全な場所で号令をかけるだけです。

城山さんの意志を引き継いでいきたいものです。

2007年03月22日

植村直己さん

先日テレビで植村直己さんの特集を見ました。

登山には興味の無い私ですが

彼の生き方にはすごい共感を覚えました。

特に彼が講演で話していたことには感銘を受けました。

ある一つのことで有名になると講演会回りで金儲けをする人がいます。

その人たちの話の内容はワンパターンです。

最初は自分を卑下し、大きな目標の前に挫折しかけます。

ところがあるきっかけ(恩師や友人や妻のの言葉とか自身の不屈の闘志だったりします)

でそれに果敢にチャレンジし、ついに成し遂げます。

そして自分はこんなに立派な人間になったということを行間ににじませながら

「皆さんも大きな夢を持ちそれにチャレンジしていってください。

努力すれば必ず道は開けます。」

と結びます。

こういうのが嫌いな私はいつも冷めた目で見ていました。

でも彼の話は違っていました。

決して人の上に立って見下していません。

聞くと生涯質素な生活で、贅沢とか金儲けとは無縁だったようです。

彼の言葉に

「頭が良いから偉いんじゃありません。金持ちだから偉いんじゃありません。」

というのがありました。

現実は頭が良いから偉い、金持ちだから偉い、

大会社の社長や役員だから偉い、政治家だから偉いということになっています。

金儲けのうまい人が偉いなんて誰が決めたんでしょうね。


2007年03月21日

偲び草

知人で大学の先輩でもあった事が判った伸城の石田さんがいます。

石田さんはギフトの販売という仕事がらもあるのでしょうが

祝儀、不祝儀の決まりを熟知されています。

私は若い頃そういうことは自然に覚えていくことだと思っていました。

ところが50を過ぎた今でも殆ど判りません。

理由は勉強不足もあるのでしょうが、

体験することがなかったことも影響していると思います。

核家族化(少し古い言葉?)で我が家には仏壇もありません。

長寿化で身内の葬儀に出ることも少なく、

それも式場でされるので(金さえ出せば)至れり尽くせりで

年寄りに指示されながら準備することもありません。

このままでは葬儀は国家資格を持つ専門家がいなければできない

特殊行事になるかもしれません。

先日、常連のお客様から香典返しの注文をたくさんいただきました。

私は”満中陰志”だと思っていました。

ところが石田さんにアドバイスを受けている時

何気なくお客様の宗派を聞かれました。

私が○○だと答えると

「それは神道だ。満中陰志じゃ無く偲び草だ。」

と教えていただきました。

びっくりしました。

全く知りませんでした。

さすがプロです。

もし石田さんに聞いていなかったら平気で満中陰志にしていたでしょう。

おかげでお客様にご迷惑をかけることも無く

恥をかくこともクレームを作ることも無く助かりました。

2007年03月20日

友人

この齢まで生きてくると色んな人に出会いました。

小学校の先生は誰とでも仲良くしなさいと言っていましたが

どうしても仲良くしたくない人は必ずいました。

1 威張る人    家来にはなりたくありません。
2 自慢する人   寂しいんでしょうね。劣等感も強いんでしょう。
3 嘘をつく人   自分を美化したいんでしょう。
4 騙す人     苦労してきたんでしょう。
5 怒る人     短期は損気、友達ができません。

大人になると楽です。

嫌な人とは付き合わなくても誰にもしかられません。

(会社の上司や同僚だったら最悪でしょうけど)

私は今、気の合うしかも本音で話せる、けなしあえる

注意しあえる、助け合える友人が何人も出来ました。

この状況も一つの幸せなんでしょう。

自分を隠し、美化し、はったりを言い、

表向きの付き合いをしている人は可愛そうですね。

 

2007年03月19日

家庭教師

知人の小2の子に算数を教えました。

親が教えると喧嘩になるとの事です。

気持ちはわかります。

何でこんな事がわからないのかとまどろっこしい気持ちで

つい声が高くなったりするのでしょう。

子供も親からガンガン言われるとつい言い返してしまいます。

実際やってみると小2は難しいです。

中学生だと方程式などを理詰めで教えれば良いし

小学校高学年だと意欲がある子には簡単に教えられます。

でも1、2年生だと先ず意欲を引き出すところから始めなければいけません。

その上教える内容も基礎ですから逆に大変です。

”10人いる中で前から3番目の人は後ろから何番目でしょう”

この式は 10−3+1 になるのですが

この式の意味を理解させなければいけません。

苦労した90分でした。

2007年03月18日

鳥取砂丘

今日は妻や友人達と鳥取へ行ってきます。

一昨年妻と車で行きましたが

今回はバスツアーに便乗して6名での日帰り旅行です。

カメラマンで喫茶店経営のK夫妻、オーダースーツ販売のNさん、

はんこ屋さんのTAさん、そして私と妻の6名です。

わいわいがやがや、にぎやかな旅になりそうです。

2007年03月17日

フォーク世代その2

高2の時できた友人は三原出身で福山のS高校へ通うため

学校の近くに下宿していました。

三原の広大附属中出身の彼は頭が良くスポーツもそこそこ、しかも遊び人で

家は金持ち、リーダーシップはあり女子にも人気がありというすごい男でした。

学校が終わり彼の下宿へ行くとギターのコードを教えて貰い

”花は何処へ行った”や”500マイル”など

アメリカの反戦フォークを知るようになりました。

彼は慶応へ進みあの有名な電通に勤めているようです。

そんな彼に誘われて生徒会の役員になり

生徒会本部で雑用を色々するようになりました。

そんなある日一人がギターを弾きながらある歌を歌い出しました。

その歌を聴いたときすごい感動を覚えました。

それがよしだたくろうの”どうしてこんなに悲しいんだろう”でした。

その日からすぐ私はよしだたくろうの大ファンになってしましまいました。

そしてアルバム”人間なんて”を買い毎日繰り返し聴くようになりました。

するとそれからひと月もしないうちに

たくろうは”結婚しようよ”で大ブレイクしてしまったのです。

2007年03月16日

楽して儲ける?

株式投資で儲ける人を批判するのをよく聞きます。

「楽をして儲けようという考えがけしからん。

人間は汗を流してお金を手に入れるべきだ。

子供の教育にも良くない。」

本当にそうでしょうか。

株で儲けるのは楽でしょうか。

皆さんが株をしないのは楽をして儲けることが良くないのでしないのでしょうか。

違うでしょう。

株が難しそうで、下手に手を出すと大損しそうだからでしょう。

自分でやってみたらわかると思いますが、

株式投資は決して楽ではありません。

勉強もしなければいけません。

決断力も必要です。

情報収集も必要です。

楽をして儲けようと思う人は株に手を出してはいけません。

ただ体だけを動かして儲けるのが一番楽でしょう。

2007年03月15日

ザ・モップス

鈴木ヒロミツさんが亡くなりました。

彼らが歌った”月光仮面”にはびっくりしました。

子供の頃から知っているこの曲をサイケ調にアレンジし

ヒッピー風の格好で歌う姿はそれまでの歌手のイメージを一変させました。

それまではカルメンマキが裸足で歌っただけで批判されたり

話題仁なる時代でしたから。

そしてたくろうが作った”たどり着いたらいつも雨ふり”は最高でした。

たくろうファンの私でもたくろうが歌うそれより

彼の方が良いと感じました。

最近はドラマに出ていたそうですが私はドラマは見ないので全く知りませんでした。

ご冥福をお祈り致します。

合掌。

2007年03月14日

フォーク世代その1

私の青春時代の歌と言えばフォークをおいては考えられません。

ビートルズが来たのは小5の時でまだピンときませんでした。

中学生の時ののG・Sブームは男子には殆ど無関係でした。

G・Sブームの真っ最中にザ・フォーク・クルセダースという

不思議なグループが出てきて”帰ってきたヨッパライ”が大ヒット。

これは男子に馬鹿受けでした。

そしてザ・ダーツの”ケメ子の歌”ソルティー・シュガーの”走れコータロー”

が同一路線のようでした。

その頃学生運動が激しくなり、

彼らが支持した岡林信康が聞こえてくるようになりました。

そして高校時代になると私に最初に衝撃を与えたのが

小椋佳の”さらば青春”です。

学園祭の喉自慢でギターを持った上級生が歌ったのを聴いた

その日の内にレコードを買った思い出があります。

僕は呼びかけはしない
遠く過ぎ去る者に
僕は呼びかけはしない
傍らを行く者さえ
見るがいい 黒い水が
抱き込むように 流れて行く
少女よ 泣くのはおやめ
風も木も川も土も
みんなみんな
戯れの 口笛をふく

僕は呼びかけはしない
遠く過ぎ去る者に
僕は呼びかけはしない
傍らを行く者さえ
見るがいい 黒い犬が
獲物を探して 駆けて行く
少女よ 泣くのはおやめ
空も海も月も星も
みんなみんな
うつろな輝きだ

ララララ・・・・・
ララララ・・・・

そしてこの後よしだたくろうの存在が大きくなっていくのです。

(続く)

2007年03月13日

新高梨

昨日新高梨をたくさん頂きました。

以前食べた時全く味が無く固くておいしくありませんでした。

だから大きいだけでおいしい物じゃ無いと他人に言ったところ

それはまだ熟れてないんだと言われました。

新高梨は熟れて柔らかくなってから食べるものだそうです。

無知でしたが次に食べる機会がなかなか無く今日やっときました。

食べてみると確かに普通の梨より柔らかく香りも違います。

こういう珍しい物は食べ方も添えて

売ったりあげたりする方が良いのではと思いました。

若い時ですが魚のカワハギをもらって内臓を出して焼いたことがあります。

無知なことが悪いのでしょうがそれに縁の無い人にはわからないものです。

2007年03月12日

食費1日3万円

プロ野球球団がアマ選手に栄養費名目で裏金を渡していたことが明るみにでました。

皆さん、対応が大変だと思います。

殆どの球団が多かれ少なかれ色んなところで裏金を使っているはずですから。

表向きは憤ってみせても次は自分のところが見つかるかもしれないと

内心びくびくものでしょう、

現在、高校野球、大学野球は完全にビジネス化していると云われます。

以前かの有名な江夏投手が語ってました。

高校卒後大学に進学が決まっていたそうですが

そこの条件が阪神よりはるかに良かったそうです。

何でも奨学金名目の金プラス家一軒の提供と

高校のチームメイト数人も一緒に大学に入れてくれるということになっていたそうです。

今優秀な中学生には全国の高校から話がくるそうです。

ですから我が家で話題になったのはその事件よりも金額でした。

ざっと計算すると食費が1日3万円です。

どうやったら1日3万円を食べることができるでしょうか。

運動選手の健康管理目的ですからアルコール代はダメで

純粋に食べ物だけで使うという設定で考えてみました。

ホテルや有名レストランのフルコースを食べると3万円になるでしょうか。

プリンスホテルのフランス料理のディナーに2万円のコースがありました。

でも私は洋食は嫌いなので和食で見ると1万円前後です。

こうやって考えていたら1万円のコースがすごく安く思えてきました。

金持ちの気分を味わったひとときでした。

2007年03月11日

広島のお土産

PA0_0000.JPG

広島から知人が来て広島のお土産を頂きました。

広島菜漬に広島らーめん、

そして目玉がお好みソース”広島ぢゃけん”です。

これは以前ラジオで聞いたことがあります。

福山では見つけられませんでした。

野菜と果物、砂糖、本醸造醤油に純米酢、でんぷん、自然塩、魚エキス、

昆布エキス、香辛料から造られた優れものです。

化学調味料、保存料、着色料、香料は一切入っていません。

ラジオではそのまま舐めてもおいしいとレポーターが言っていました。

試しに皿に出してみたらジャムのような感じで粘って出てきました。

味も濃厚で確かに普通のソースと全く違います。

使うのが楽しみです。

でも勿体なくてお好み焼きにはかけられないと思います。

2007年03月10日

毎月、定例会で株の勉強をしています。

先日、上海を発端にした世界同時株安が発生しました。

面白いものでこういう時の対応が人によって様々です。

信用買いをしている人は大変でしょうが

私たちは現物買いなので慌てる事はありません。

狼狽売りをする必要はありません。

下がったら売るなんてわざと損をしようとするようなものです。

上がり切ったところで買うのと一緒です。

今が買い場なのでしょうが見極めは非常に難しいものがあります。

まだまだ勉強が必要です。

2007年03月09日

学生マンション

広島に住む知人の長男が岡大に進学が決まり、

住む部屋を探しに来たのでつきあいました。

鹿田町周辺の学生コーポを数ヶ所見て回りました。

驚きました。

私の時代とは本当に隔世の感です。

いわゆる1Kマンションですがうらやましくなりました。

バス・トイレ・キッチン付きの綺麗な部屋で相場が5万円です。

それに礼金、敷金、仲介料がいるので今月の支払いは30万円です。

昔と桁が違います。

昔話をしたら若い人に厭がられるかもしれませんが

笑い話みたいに思ってもらえればと思います。

30年前は学生マンションでは無く学生下宿と言って

”間借り”が主流でした。

入学時に入った下宿は京都嵐山線の太秦駅の隣で

四畳の部屋で隣とは襖で仕切っているだけです。

朝、6時前に嵐電のけたたましい音で起こされます。

向かいには消防署があり、夜中にサイレンの音を響かせて

消防車や救急車が出動します。

でも下宿代は5千円でした。

トイレは当然共同で風呂は銭湯に行きます。

料理は部屋で使える電熱器だけでつくる即席ラーメンが主でした。

4年になる時、引っ越しました。

下宿には敷金、礼金などは無く

荷物も少ないから簡単に移れました。

落ち着く先は寺の広間です。

八十畳ある大広間の隅をカーテンで八畳ほど仕切りそこに住むのです。

下宿代は3千円でそこのお婆さんの小遣いでした。

ただし月に1回の集会時には荷物を隅に片づけカーテンを開けて

集会場に早変わりです。

近所のお年寄りが集まり、お経を唱えて説法を聞きます。

参加したらと云われましたが若いときに興味があるはずもありません。

1日友人の下宿等で過ごします。

夕方下宿に戻ると残った弁当が置いてあります。

冷たい弁当がとてもうれしく喜んで食べていました。

2007年03月08日

鳥取砂丘

広島、岡山に永く住んでいるのに行ったことがありませんでした。

これではいけないと思い一昨年、車で行ってみました。

さすがに観光地ずれはしていましたがやはり砂丘は雄大でした。

一度は行くべき場所だったと実感できました。

リフトに乗って展望台へ向かっていると途中の下に若者が2人いて

リフトにのっている人を写真撮影します。

そしてリフトを降りたらその写真がそこに置いてあり販売しようとしています。

殆どの人は買おうとしません。

でもずっとやっているということはそこそこ売れるのでしょう。

これが香港ならほぼ全員に売りつけているだろうと感じました。

18日の日曜日に再度行く予定です。

カニも食べてきます。

2007年03月07日

未来予想の詐欺

星新一の短編に面白い話がありました。

ある日家の電話が鳴り、受話器を取ると

「私はコンピュータ、明日の日本シリーズは○○が勝ちます。

誰にも云ってはいけません。」

そして結果はその通りになります。

すると又電話がなり翌日の予想を云い、翌日もそれが的中します。

ありえない話のようですがトリックを聞くとあっと思いました。

すごく単純な手口でした。

まず最初に電話帳でアトランダムに1000人ぐらい選び

500人にはAチーム、残りの500人にはBチームが勝つと電話します。

当たった方の500人を2つに分けて同じように電話します。

そして6戦で勝負が付くと15人に対して予想が的中したことになります。

その残った15人に対して詐欺を行えば高い確率でだますことができるはずです。

これを読んだら、いつどのような詐欺に引っかかっても不思議じゃ無いと思いました。

2万円ほどの電話代を投資すれば誰でも出来ます。

いかがですか。

2007年03月06日

腐敗と発酵

高校時代、化学の授業で腐敗と発酵について習いました。

発酵とは糖類が分解されて、乳酸,アルコールなどが生成されることを言います。

そして腐敗とはタンパク質,アミノ酸などが分解されて、

硫化水素やアンモニアなどが生成されることを言います。

少し難しい話ですがさらにそれらに例外もあり理論的には難解です。

ところが先生はそれを説明した後、もっと簡単な分別方法があると言われました。

「人に役に立つのを発酵、役に立たないのを腐敗と言います。」

一同大爆笑でした。

でも先生は真面目な顔で

「本当ですよ。」

と言われたのでした。

2007年03月05日

太宰と芥川

春がそこまで来ています。

春という言葉で春風駘蕩という言葉をを連想しました。

芥川龍之介が書いた”在りし日の大石内蔵助”で

内蔵助が討ち入り成就後切腹の日が来るまでの気持ちをこう表していました。

でも彼の本当の気持ちは目標を成し遂げたあと、

目標が無くなった虚しさを感じていたと芥川は書いていました。

人間心理を鋭く突いていますがやはり本質的に彼は他人を冷めた目で、

しかも意地の悪い目で見ていたのでしょう。

他人を裏切り続け他人に迷惑を掛け続け

それでも人間愛を書き続けた太宰と正反対です。

”走れメロス”を芥川が書いたらメロスは戻って来ず

王様は悲しい顔で

「所詮、人間とはこんなものだ。」

と言って処刑させていたでしょう。

だから太宰は今でも多くの(迷惑を掛けられたことの無い)人に

愛されているのでしょう。

2007年03月04日

別れ

3月は別れの月、4月は出会いの月ですね。

今までの人生で別れた経験を思い起こしてみました。

私が生まれたのは広島県の北部、甲奴という町です。

そこを4歳の時、父親の転職で福山へ移りました。

保育園で先生に福山へ引っ越すことを言ったのをかすかに覚えています。

福山へ来て霞町のアパートに入り、霞幼稚園に入園しました。

ところがどういう事情か知りませんが

半年もしないうちに市内で引越し、南幼稚園に変わりました、

少しの間だったので別れる悲しさはありませんでした。

南幼稚園に初めて行った日、先生に紹介してもらい

遊び時間になったらすぐ二人の男子が寄ってきて

「遊ぼう。」と言ってくれました。

とても嬉しかったのを今でも覚えています。

田中君と永井君でした。

田中君とは小4まで、永井君とは中3まで友達でした。

別に喧嘩別れしたわけではありません。

私の行った学校は小学校が5クラス、中学校が9クラスありました。

クラスが変わればどうしても疎遠になってしまいました。

南幼稚園は、ほぼ全員が南小学校に行き、

ほぼ全員が城南中学校に行きます。

だからここでの別れは先生とでした。

小学校でのクラス替えは2年に1度です。

入学したら1、2年生は同クラスです。

3年になる時クラス替えになり4年生も同クラスです。

5年生になる時又、クラス替えになり6年生も同クラスです。

中学校はもう一つの川口小学校と合同になり9クラスです。

中学では毎年クラス替えです。

小3で友達になった林君とはなんと中3まで同クラスでした。

今度こそ別になるねと言いながらついに最後まで一緒でした。

でも高校は残念ながら別になりました。

今では消息もわかりません。

2007年03月03日

春の空っ風

衛星放送に泉谷しげるが出ていました。

すごいエネルギーで歌っていました。

若いときと変わりません。

いつも悪ぶっているけど本質は隠せません。

若い漫才師の司会に敬語でしゃべっています。

北海道南西沖地震被災者救援のために救援活動をし

賞賛されると照れくさいのか

「俺は偽善者だ。」

「1日1偽善。」

などとうそぶいていました。

”春夏秋冬”は詩も曲も大好きです。

季節のない街に生まれ
 風のない丘に育ち
 夢のない家を出て
 愛のない人にあう

 人のために よかれと思い
 西から東へ かけずりまわる
 やっとみつけた やさしさは
 いともたやすく しなびた

 春をながめる 余裕もなく
 夏をのりきる 力もなく
 秋の枯葉に 身をつつみ
 冬に骨身を さらけ出す


 今日ですべてが終わるさ
 今日ですべてが変わる
 今日ですべてがむくわれる
 今日ですべてが始まるさ


 となりを横目でのぞき
 自分の道をたしかめる
 またひとつずるくなった
 当分てれ笑いがつづく

 きたないところですが
 ヒマがあったら寄ってみて下さい
 ほんのついででいいんです
 一度寄ってみて下さい

”黒いかばん”はもちろん聴けないでしょうが

”春のからっ風”が聴けなかったのは少し残念でした。


2007年03月02日

ジェットストリーム

今月初めて(と言っても初日ですが)近くの”ほのかの湯”に行きました。

今、セール中で500円で入れます。

普段は回数券ですが今回は自販機へ500円玉を投入しての入館です。

ここはいつ行ってもそんなに混んでないから気に入っています。

あまり少ないと存続の危機になりますから適度に客がいるのが理想的です。

ごろ寝湯から飛行機の点滅が見えました。

夜、これを見るとジェットストリームを連想します。

最近CDで発売していました。

少し考えましたがやめました。

この番組はあくまでもBGMです。

そして夜中に聴くものです。

今の生活習慣では夜中の12時にはもう寝ています。

そして6時過ぎに起きるという刺激の無い立派な(?)生活なので

たぶんもう聴く機会はないでしょう。

2007年03月01日

映画村その7

今まで映画村でのエピソードを色々書きましたがまだまだ書き足りません。

何かと話題になる杉田かおるさんの小学生時代も映画村で見ました。

確か水戸黄門にゲスト出演だったと思いますが

他の学芸会的な子役とは全く違って上手でした。

俳優会館の方から背の高い女性が歩いて来ていると思うと

近くで分かったら壇ふみさんでした。

水戸黄門の格さんをしていた横内正さんは気さくな人でバイト学生にも話しかけてくれました。

満州で生まれ帰国で苦労したことも話してくれました。

一昨年離婚問題で騒がれ、色々言われていましたが

私はこの人は良い人だと思っています。

上村香子さん(浜畑賢吉さんの奥さん)は客からしつこいほど写真を撮られても

いやな顔をせず、にっこり笑ってポーズをとっていました。

風車の弥七の撮影ももちろん見ました。

中谷一郎さんが跳び上がる格好をしたら”ハイカット!”

着地する格好をしたら”ハイカット!”でした。

あとはスタントマンの出番でした。

大道具係の小原さんという方と知り合いになりました。

いつも行く食堂の常連さんだったからです。

小原さんは仕事が終わるとその”むらさき”という店に寄り

4人座れるカウンターの一番奥に陣取っていました。

そしてビールを1本、熱燗を1本と少しのつまみを注文します。

そしてまずビール2杯を飲み、それから熱燗をちびりちびり、

最後に残しておいたビールを飲んで終わりです。

私は何故か可愛がってもらいました。

バイトで働いていたのを遠くから見ていたのでしょう。

店の人に「頑張って一生懸命働いとったで。」と話しているのが聞こえました。

一度小原さんが最後のビールを飲むと

「おい、ついて来い。」

と近くの割烹へ連れて行ってもらいました。

そこで鮎の塩焼きがでてそこの女将さんが箸で身をほぐし、

頭を取って尻尾を引っ張ると骨がするりと抜けるのを実演してもらいました。

天然でないとできないと言われたのを覚えています。

小原さんには申し訳ない思い出があります。

卒業式前夜、友人たちと最後に”むらさき”へ行きました。

すると小原さんがおられたので今までのお礼とお別れの挨拶をしました。

すると小原さんはすぐ店を出て行ったかと思うと近くの大映通りにある漬物屋で

贈答用の漬物を買ってきて私にくれたのです。

ところがそのあと友人たちと大阪へ行って飲み、

その店に漬物と小原さんの連絡先を書いた紙を忘れてしまいました。

そしてそのままになってしまいました、

今でも思い出すたび他人の行為を無にし、礼も書けなかった自分を恥じてしまいます。