道の駅
連休2日目は玉野にある深山公園道の駅に行きました。
ここの売店は新鮮で安いと評判です。
近隣の道の駅にもひどい所がありその格差は大きなものがあります。
すごい努力が必要には見えませんから
評判の良い所を見に行ってすぐ真似ができると思うのですが
努力以前にやる気が無いのでしょう。
つぶれる心配が無いのはだめですね。
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連休2日目は玉野にある深山公園道の駅に行きました。
ここの売店は新鮮で安いと評判です。
近隣の道の駅にもひどい所がありその格差は大きなものがあります。
すごい努力が必要には見えませんから
評判の良い所を見に行ってすぐ真似ができると思うのですが
努力以前にやる気が無いのでしょう。
つぶれる心配が無いのはだめですね。
私にとってG・Wの初日、午後から健康ランドに行きました。
そこで映画{ナルニア国物語」を観ました。
2年前の映画でディズニー作品です。
素人の私が見ても大金をかけて作っていることがわかります。
でも残念ですが私には今一つでした。
大金をかけていることがわかるよりも
心を打つ映画を観たい私です。
ここ最近よく思うのですが
車で走っていると目の前を平気で横切る人がいるのです。
女性、それも高校生から25歳くらいの若い人です。
人が道路を横断していたら車が止まるのは当然ですが
全く車の方を見ないで出てくるのです。
普通は運転者を見て止まってくれそうだと判断してから歩き出すものですが
車の存在を無視するように歩いています。
「轢けるものなら轢いてみろ。」
という感じに思えるのですが
もし運転者がわき見をしていたらどうするのでしょうか。
恐れを知らないというか図々しいというか言葉に困ります。
知り合いの大工さんが先日言っていました。
街中の店で改装工事をしていたら
その店の前に高校生が自転車を置こうとするのです。
「おい、そこに置かれたら邪魔になるんじゃ。」
と言ったら男子は黙って動かすそうですが
女子高生は
「でも他に置くとこ無いもん。」
と言い返してくるそうです。
男女の本質的な性格の差が見えたように思えました。
伸城の石田さんのブログで
他人の葬儀を仕切る町内の長老の話がありました。
面白いことにどこにでもいるものです・
私が体験した数少ない葬儀でも見かけました。
親戚の葬儀の時そういう人がいて閉口しましたが
その親戚で2度目の葬儀があったとき
従兄弟が葬儀の参考書を買ってきて
それを見ながら準備をし文句を言わせないようにしていました。
その人にとっては若い者がろくにしきたりも知らないで
嘆かわしくて仕方ないといったところでしょう。
なんだかんだ偉そうに言っても
まだまだひよこだと思っているのでしょうか。
でもその人が存在感を示せるのはこんな時ぐらいかもしれません。
そう考えると滅多に無い儀式ですから素直に指示をあおいで
気持ちよく小言を言わせてあげるのも
老人孝行といえるのでは無いでしょうか。
定例会が中止になったので近くの”ほのかの湯”へ行きました。
ごろ寝湯で空を見上げると月が輝いていました。
上弦の月です。
私たちの世代は上弦の月を見ると
条件反射のようにたくろうの”旅の宿”が出てきます。
上弦の月だったっけ
久しぶりだね
月見るなんて
作詞は岡本おさみです。
彼は襟裳岬や祭りのあと、おきざりにした悲しみはなど
叙情的な名曲をたくさん残しています。
こんな歌を20代によくもつくったものです。
中国三大奇書のひとつと言われています。
明の時代の作品で
殷の紂王の時代の物語ですがこれは完全にSFです。
宝貝(パオペー)というアイテムを武器にして
空を飛ぶ四不象(スープーシャン)に乗り駆け回るという
まさに大スペクタクルです。
歴史認識に少し問題もあるようですが
娯楽小説として読むのには安能務編集のものが最適です。
これを読んで昔の中国の偉大さを改めて感じました。
映画で”ALWAYS三丁目の夕日”がありましたが
私たち以上の年代の人は殆ど残らず郷愁を感じたでしょう。
家にテレビが来るというのは大イベントでした。
その日は授業中も落ち着かず学校が終わると飛んで帰ったものです。
私の家にテレビが来たのは昭和37年、小1の時でした。
それまではテレビがある友達の家に当然のように見に行っていました。
でも午後6時までしかダメでした。
暗くなるし、どこの家庭でも夕食の時間になるからです。
場所も家の者が前で私たちは後ろでした。
その頃見ていたのはアメリカの漫画で猫が主役の”フィリックス君の冒険”、
おなじみ”ポパイ”、”ちろりん村とくるみの木”などです。
それが家にあると6時以降も見ることができるのです。
幸福を感じました。
でも姉とのチャンネル争いという喧嘩の新しい原因もできました。
6時をすぎると”みんなの歌”、”黒百合城の兄弟”、”不思議な少年”
など今考えれば本当に教育的な番組が作られていたものです。
それが”ひょっこりひょうたん島”ぐらいから少しずつ変わってきます。
サンデー先生がいくら教育的な指導をしても
子供達は言う事をあまりききません。
テケは乱暴ですぐ「やい、やい、トラヒゲ。」と大人にでもかかっていきます。
チャッピはお転婆、ダンプはすぐ「腹へった。」
ドン・ガバチョは大人のずるさを見せてくれました。
彼の笑い声「はた、はっは。」は台本にミスがあったのを
藤村有弘が面白いといってそのまま読んだそうです。
この番組は言葉が汚いとPTAからよく抗議を受けました。
そういう番組が一番心に残っているのですから
劇薬的効果があったのと井上ひさしの能力が秀でていたのでしょう。
”三丁目の夕日”は続編ができるそうです。
とても楽しみです。
私はよく使う手ですが温泉旅館に泊まるのは
日曜日が穴場です。
土曜日は高くなるところが多いですが
日曜日は殆どの旅館が平日料金です。
翌朝は少しバタバタしますが日曜の午後3時にチェックインして
ゆっくり過ごすことができます。
それに意外と思えるほど客が少ないのです。
今回行ったところも土曜日は200名くらいだったそうです。
そして月曜も100名以上の団体が入っているとのことです。
それなのに日曜日は全員で50名いませんでした。
だから温泉に入っても殆ど貸し切り状態です。
朝のバイキングも落ち着いて料理を取れます。
それから部屋は8人部屋を提供してもらえました。
18畳もある部屋にあと2部屋付いていました。
どうせ空いてるから好印象を与えるためにそうしたのでしょうが
おかげで快適に過ごせました。
今回は両親と泊まりましたが
部屋に金庫があり貴重品を入れるよう言いました。
すると財布や時計を入れ、父親は携帯電話も入れました。
これって漫才のネタに使えるのではと思ってしまいました。
本日行ってきます。
ここは2回目です。
瀬戸内海に面した露天風呂があり夜景が最高です。
両親と行ってきます。
滅多にないことなので料理もデラックスにしました。
でもスポンサーは両親です。
私は添乗員でお相伴にあずからせて頂きます。
学生時代、文庫本になっているものはすべて読みました。
単行本は勇気と金がある時だけ買いました。
その頃一番好きな作家でした。
四国の山奥に生まれた秀才が天皇制や戦争犯罪、右翼、
性や生などあらゆるタブーにチャレンジしていく姿には共感を覚えました。
学生最後の頃に読んだ「見る前に跳べ」は
内容も素晴らしいものでしたがタイトルに引きつけられました。
この言葉は人生の教訓となりました。
Look,if you like. But you will have to leap.
(見たけりゃ見なさい。だけどあんたは跳ばなきゃならない)
30年経っても忘れられない1節です。
私が生まれたのは昭和29年です。
戦争が終わってまだ9年です。
4歳まで広島県の北部にある甲奴町にいました。
雪が良く降るところでした。
父親が大きな雪だるまを作ってくれたのを覚えています。
家にはまだ電気炊飯器はありません。
ガスこんろもありません。
母親がかまどに火をおこし、炊事をしていました。
母親から聞いたことですが私は粉ミルクを飲んでいたので
夜中に飲ませる時はかまどに火をおこすところから始まったそうです。
今の母親には絶対できないでしょう。
電気炬燵はありましたが今のような形では無く
(あんかを大きくしたような)四角い箱のようなものです。
ですから足を中に入れるというのでは無く、
足を当てるといった感じです。
その炬燵にあたりながら
ラジオから流れてくる相撲放送を聴いていた記憶があります。
一番の娯楽はラジオです。
朝はいつも”パパ行ってらっしゃい”を聴いていました。
中村メイコさんが何役もやっていました。
主題歌は
時計がね 鳴りました
きーたん何時かわかるでしょう?
わかりますよ えーとね えーとさ わかんない
ほらほらパパのお出かけよ
パパのかばん持ってあげる
お靴もぴかぴかみがいたら
駅までパパをお見送り
パパ行ってらっしゃい
パパ行ってらっしゃい
パパ行ってらっしゃーい
こういうどうでもいいことを本当に良く覚えていると
自分でも感心します。
学生時代に破戒と夜明け前を読みました。
少し難解でした。
世間に対して問題提議をしていると感じました。
でも彼のすばらしさは作詞です。
「千曲川のスケッチ」は最高です。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
椰子の実もいいですね
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
いいですねー。
友人Mが音楽のテストで島崎藤村を勘違いし
”ふじむらとうそん”と書きました。
漢字で書くと”藤村藤村”となりおかしいと思いました。
でも何故おかしいか考え付かず、仕方なく
”藤村とうそん”と名前をひらがなで書いたのでした。
勿論バツがついた上に珍答ということで皆に披露されました。
人は一人ひとり考えが違います。
違って当たり前です。
似た考えの人もいます。
全く逆の人もいます。
でもそれぞれが違うことを認め合うのは大切です。
自分と違う考えの人を否定するのはだめです。
「私はあなたの意見に反対だ。
しかし、私は命を賭けてあなたがそれについて発言する権利を守るであろう。」
ヴォルテールの言葉です。
クローズアップ現代と言う番組をよく見ます。
冷静な分析で現代の問題点を指摘してくれます。
でも今日の番組で気になるところがありました。
あることが増大していることを折れ線グラフで示していました。
気になったのはそのグラフで二重波線を使っていたことです。
ご存知のように大きい単位での推移は普通に表すと殆ど変化が見えないため
下に二重波線を入れて不要なところを省略します。
ところがこれをマス・コミは多用するように思えるのです。
0から1目盛の間に二重波線を入れ1目盛目を1000とします。
そして2目盛を1100、3目盛目を1200とします。
あるものが1年目は1000、2年目は1100、3年目は1200と伸びていたら
このグラフを一見したら倍倍に見えるのです。
この事を視聴者が理解していたら問題は無いのですが
そうとも言えないように思えます。
そしてナレーションはその伸長ぶりを強調するのですから尚更です。
マス・コミも自重して頂きたいし
視聴者も勉強しなければと思いました。
昨日吉備大臣宮へお礼参りに行きました。
有名な吉備真備公を祀った神社ですが普段はひっそりとしています。
社務所も閉まったままです。
私の福山の実家へ行く途中にあり
長男が高校受験以来次男の高校受験、長男の大学受験、
次男の大学受験、次男の就職活動、
そして親戚や友人達の子供の受験とことある毎にお願いしてきました。
そして今年長男の国家試験をお願いし、
先月無事合格したのでそのお礼参りでした。
世間ではあまり認知されていないようなので
真備公が一人あたりにかける力が多いと思えてずっとお願いしてきました。
今までの成績は7勝2敗と優秀な結果でした。
我が家はこれで一段落です。
次はどこの家庭を助けられるのでしょうか。
昨日に続いて歌詞にいちゃもんです。
荒井由美の名曲「冷たい雨」ですが
冷たい雨にうたれて 街をさまよったの
もう許してくれたって いいころだと思った
部屋にもどって ドアをあけたら
あなたの靴と 誰かの赤い靴
あなたは別の人と ここで暮らすというの
こんな気持ちのままじゃ どこへも行けやしない
本当に何ヶ月雨の中をさまよったんでしょうねー。
雨上がりの朝はとても爽やかです。
ダ・カーポの歌の冒頭を思い出します。
綺麗な明るい歌なのに悲しい歌詞でした。
雨上がりの朝 届いた短い手紙
ポストのそばには 赤いコスモス揺れていた
結婚するって 本当ですか
机の写真は 笑っているだけ
ほんの小さな 出来事で
別れて半年 経ったけれど
やさしい便りを 待っていた
待っていた
私たちの世代の懐メロです。
でもたった半年で別の人と結婚するなんて。
別れて良かったんじゃないでしょうか。
雨が降りそうです。
桜も終わりでしょうか。
雨じゃなく
桜吹雪で終わらせたいですね。
筒井康隆と言えばドタバタナンセンスだと
顔をしかめる方もおられると思いますが
彼はもちろん有能なSF作家です。
SFというジャンルをここまで高めるのに貢献した一人と言えるでしょう。
40代以上なら誰でも知っている”時を駆ける少女”も彼の作品です。
私が最初に読んだのは学生時代の”心狸学 社怪学”でした。
馬鹿馬鹿しいけど何かそれだけではすまないものを感じました。
又、最近ではマス・コミによる言葉狩りに激しく抵抗し
気骨のあるところを示しました。
”旅のラゴス”や”文学部唯野教授”はお薦めです。
街中を走っていると至るところに桜の木があります。
とてもきれいです。
花びらが散り始めました。
散るときはさらにきれいです。
でももうすぐ見られなくなると思うと寂しくなります。
又1年先までお別れです。
私たちの世代には当たり前のことが
若い世代には全く理解されないことがあります。
知識にもマナーにもあります。
しかし逆の場合も多くあります。
特に音楽媒体や携帯電話やインターネットなどに見られます。
先日息子からYou Tubeなるものを教わりました。
これは容量100MB、長さ10分までの動画ファイルを
無料で見ることができるサービスです。
若者には常識ですが私のブログを読んで頂いている方には
中高年の方も多くおられるのでURLをお知らせします。
http://www.youtube.com/
ここで懐かしい歌手を検索して聴くことができます。
泉谷しげるの”黒い鞄”、やまがたすみこの”風に吹かれていこう”
などマイナーな曲も聴けました。
テレビでやるなつメロはその歌手の代表曲になるので
いつも同じ曲になりますから
こういう曲は二度と聴くことができないと思っていました。
皆さんもチャレンジしてみてください。
いろんな障害がありいつもの仲間での花見をあきらめていましたが
日曜日の夕方、先日書いた地震男さんから電話があり
今日の夜急遽やりましょうと誘われました。
その日は一日良い天気でしたから二つ返事で了解しました。
ところが6時前息子に送ってもらっていたら何やらポツポツ。
不吉な予感がしてきました。
何せ企画は雨男兼地震男のTさんです。
準備が終わり7時頃から始めるとついに降り出しました。
仕方なく橋の下に移動し、続けていましたが暗くて寒く
後はすぐ近くのTさんのマンションに行きました。
部屋の中がちらかりテーブルの上も雑然としていたので
Kさんが片づけようと言い出し
テーブルの上を整理してやっと座れる状態になりました。
今年も思い出に残る花見となりました。
コーヒー豆の保存方法についてよく聴かれます。
コーヒー豆は焙煎してから2週間がおいしく飲める期間だと言われています。
焙煎したての豆はさかんにガスを放出します。
2、3日経ったころが味が安定し最もおいしく飲めます。
それからは空気に触れることによって酸化していき
劣化が進んでいきます。
劣化は豆よりも粉にすることでもっと急速に進みます。
それは挽くことによって表面積が広がるからです。
ですから理想を言えばミルを所有し、
1週間で飲める分量を豆で購入し飲むたびに挽くことです。
でもなかなかできない方もいるでしょう。
当店では豆を真空包装しています。
1kg買われる場合でも200gずつの小分けにし
冷蔵庫での保管をお勧めしています。
そして袋を開けたらビンか缶など密閉できる容器に移して
冷蔵庫で保管してください。
ビンや缶は中に臭いの無いものにしてください。
コーヒー豆は臭いを吸いますので。
冷蔵庫に入れるのは酸化が温度が高いほど進行するからです。
冷凍庫に入れても良いのですがその場合
使用前に常温に戻す必要がありますので気をつけてください。
格言「お茶とコーヒー豆はケチケチ買え。」
当店では100g(約10杯分)から販売しています。
数年前から毎年友人達と花見をしています。
いつも夜桜で旭川でしたり西川でしたり。
2年前は備前でもしました。
ところが今年は入院されている人、風邪をひいた人
予定がある人など調整ができず中止になりました。
残念ですがこのメンバーでの花見は一年延期ということにしましょう。
中学、高校の頃よく読みました。
この名前がエドガー・アラン・ポーから取ったことは有名です。
彼の作品はもちろん推理小説のジャンルに入るのでしょうが
それよりも人間心理を鋭くついたところが特徴のように思えます。
この作品がテレビドラマになると
とても陳腐なものになるのが残念です。
中国の歴史書「呂氏春秋」にある話です。
ある金持ちが溺れ死んで死体を一人の男が拾いました。
遺族が死体を引き取ろうとすると男が法外な金を要求しました。
困った遺族が高名な先生に相談すると
「あの死体を金を出して買うのは他にはいないから大丈夫。」
と答えてコンサルタント料を取りました。
遺族が消極的になったので不安になった男がその先生に相談すると
「他の死体で葬儀をするわけにはいかないから安心しなさい。」
と答えてコンサルタント料を取りました。
これを同じ人がするからうさんくさいとか矛盾だとか思えますが
別の人がやれば一向に問題はありません。
コンサルタントとはしょせんこういう物でしょうか。
友人のTさんは雨男でした。
過去形にするのは深い訳があります。
彼が主催する年に一度のフリマは初参加の年こそ降りませんでしたが
翌年は雨。
その翌年、用があり知り合いを代わりに行かせたら雨。
その次の年も雨。
フリマは無くなりました。
彼主催の夏祭りも一度参加しましたが
途中から突然の雨。
おまけに突風が吹き荒れ会場は大混乱。
これも無くなりました。
ある日私が玉野まで配達に行っての帰り、
突然暗くなったかと思うと土砂降りの大雨、
車のワイパーを強にしても前が見えないほどです。
あとで聞いたらTさんはその日
天気が良いので職員に号令を掛け敷地の草取りを始めたところだったそうです。
彼主催のエコウォークも初参加の時が大雨。
傘を差して7km歩かせていただきました。
このイベントも2勝3敗で雨です。
福岡出身の彼が2年前、10数年振りに帰郷した時
活断層の無い福岡であの大地震が起こりました。
岡山へ帰ろうとしていた時で列車が止まり大変だったそうです。
その彼は昨年より福井の禅寺で数日間、
座禅の修行を始めました。
今年も先日行き、無事修行を済ませ帰ろうとしたら
あの能登半島地震が発生し列車が止まり
仕方なくタクシーで帰っていたら列車が動き出し
タクシーを抜いていったそうです。
もう彼を雨男とは言いません。
地震男と呼びます。
沿岸に迷い込んだ鯨を助けようとして亡くなられた人がいます。
危機に陥った動物を救助する話をよく聴きます。
私は時々疑問を感じずにはいられません。
暴論かも知れませんが所詮は動物です。
人間が自然の摂理を壊したために絶滅する動物がいるならば
(それも自然の摂理かも)ある程度は理解できますが
動物同士の戦いで傷ついたのを助けたり、
たまたまはぐれたのを保護したり,,,,,,,,,,,,,。
自己満足ではないでしょうか。
それこそ自然の摂理を壊しているのではと思います。
そういう人たちは肉も野菜も 生あるものを食べるのはやめたほうが良いでしょう。
そんなエネルギーや金や時間があるならば
人間で困っている人に使ったらと思います。
サラリーマン川柳で面白いのがありました。
”犬はいい 崖っぷちでも 助けられ”
これは半分冗談ですが世界にも又日本の中にも
困っている人はいくらでもいます。
桜が咲きました。
植物には殆ど興味が無いのですが
桜は大好きです。
日本人にとって綺麗だけでなく
人生など色んなことを考えながら思いをよせるのでしょう。
軍歌にある”同期の桜”。
,,,,,,,,,,,咲いた花なら散るのは覚悟,,,,,,,,,,,,,,,,,,
戦争は嫌ですがこの詞は流石だと思います。
良寛の辞世の歌と言われている
「散る桜 残る桜も 散る桜」
人生を見事に歌っています。
西行法師の歌も有名です。
「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」
風情がありますねー。
学生時代F教授から聴いたある小説の中に
散る桜の下での宴で杯に注がれた酒に花びらが落ち
「杯の中で桜の花びらは冷たく揺れた。」
F教授はこの”冷たく揺れた”という表現にすごく感動されたそうです。
確かに趣のある文章です、
30年たっても桜が散るのを見ると思い出します。
家での晩酌は日本酒、焼酎、ビールがメインです。
その日の温度や酒の肴や気持ちで切り替えます。
昨日酒屋でふと洋酒コーナーを見ました。
ジョニ黒が2千円ちょっとです。
私が若い頃は1万円しました。
今の貨幣価値で言えば2万円を越すでしょう。
これをあり難がり、高値の花だと思っていました。
そしてジョニ赤でも喜んで飲んでいたものです。
その頃にもイギリスではたいしたレベルでは無いと聞いた事があります。
それでも日本ではウイスキーの最高級の代名詞でした。
私はそのレベルには程遠くリザーブ、オールドが高値の花で
角を飲みたいと思いながらホワイロで我慢していました。
でもレッドだけは御免でした。
そして昨日はいろいろ考えたあげくジョニ黒では無く
角を買って帰りノステルジアを感じながらロックで飲みました。