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2007年03月01日

映画村その7

今まで映画村でのエピソードを色々書きましたがまだまだ書き足りません。

何かと話題になる杉田かおるさんの小学生時代も映画村で見ました。

確か水戸黄門にゲスト出演だったと思いますが

他の学芸会的な子役とは全く違って上手でした。

俳優会館の方から背の高い女性が歩いて来ていると思うと

近くで分かったら壇ふみさんでした。

水戸黄門の格さんをしていた横内正さんは気さくな人でバイト学生にも話しかけてくれました。

満州で生まれ帰国で苦労したことも話してくれました。

一昨年離婚問題で騒がれ、色々言われていましたが

私はこの人は良い人だと思っています。

上村香子さん(浜畑賢吉さんの奥さん)は客からしつこいほど写真を撮られても

いやな顔をせず、にっこり笑ってポーズをとっていました。

風車の弥七の撮影ももちろん見ました。

中谷一郎さんが跳び上がる格好をしたら”ハイカット!”

着地する格好をしたら”ハイカット!”でした。

あとはスタントマンの出番でした。

大道具係の小原さんという方と知り合いになりました。

いつも行く食堂の常連さんだったからです。

小原さんは仕事が終わるとその”むらさき”という店に寄り

4人座れるカウンターの一番奥に陣取っていました。

そしてビールを1本、熱燗を1本と少しのつまみを注文します。

そしてまずビール2杯を飲み、それから熱燗をちびりちびり、

最後に残しておいたビールを飲んで終わりです。

私は何故か可愛がってもらいました。

バイトで働いていたのを遠くから見ていたのでしょう。

店の人に「頑張って一生懸命働いとったで。」と話しているのが聞こえました。

一度小原さんが最後のビールを飲むと

「おい、ついて来い。」

と近くの割烹へ連れて行ってもらいました。

そこで鮎の塩焼きがでてそこの女将さんが箸で身をほぐし、

頭を取って尻尾を引っ張ると骨がするりと抜けるのを実演してもらいました。

天然でないとできないと言われたのを覚えています。

小原さんには申し訳ない思い出があります。

卒業式前夜、友人たちと最後に”むらさき”へ行きました。

すると小原さんがおられたので今までのお礼とお別れの挨拶をしました。

すると小原さんはすぐ店を出て行ったかと思うと近くの大映通りにある漬物屋で

贈答用の漬物を買ってきて私にくれたのです。

ところがそのあと友人たちと大阪へ行って飲み、

その店に漬物と小原さんの連絡先を書いた紙を忘れてしまいました。

そしてそのままになってしまいました、

今でも思い出すたび他人の行為を無にし、礼も書けなかった自分を恥じてしまいます。


2007年02月04日

試験監督官

大学3年が終わるとき、春休みに早稲田の友人のところへ遊びに行くことにしました。

ある日大学でアルバイト情報を見ていたら

入試の東京会場の補助が出ていました。

日程をみたらぴったりです。

早速応募しました。

東京に行って友人に翌日のバイトの話をしたら

彼もやりたいと言います。

担当者のいる旅館に電話をして頼んでみることにしました。

すると担当の人が大喜びでOKしてくれました。

聞けば立命館に東京からくる学生は少なく

バイトへの応募も少なかったので人手が足りなかったそうです。

翌日会場の拓殖大学へ行き、仕事内容を聞いてびっくり。

なんと試験監督だったのです。

本当に人手不足だったようです。

50人くらいの教室の監督を一人でやらされました。

別の年に京都でやったときは会場案内程度の事だったので

こんな事をしていいのかなという感じでした。

受験生も監督官がまさか学生だとは夢にも思わなかったことでしょう。

2007年01月19日

徹夜労働

早くから知っていましたが中々行く気になれないバイトがありました。

下宿の近くにある大日○印刷工場です。

経験者が語る悲惨な話に二の足を踏んでいました。

1年の秋に早稲田の友人が早慶戦に来いと誘ってくれ、

旅費を稼ぐためについに応募しました、

夕方6時から朝6時まで働いて5千円もらえます。

その頃 昼8時間働いて2千円程度でしたから金額は魅力です。

仕事は印刷で出た不要紙をプレス機で固めたものを機械から外し

別の不要紙をセットするのです。

大きなプレス機のそばで働くのですからとても危険です。

今思えばよくあんな危険な仕事を無防備な学生にさせていたものだと思います。

夜食がついていて食堂に行くとどんぶり飯に豚汁、漬物でした。

刑務所でも もっと良いものを食べさせてくれるのではと思いました。

でも食堂にあるタバコの自販機を見てなるほどと思いました。

ハイライトが一番高く、ずらりと並んでいたのは

”いこい”や”ひびき”、”エコー”でした。

眠気と戦いながら何とか朝まで働き、現金を受け取って下宿へ帰る朝

ふと思ってすぐそばにある広隆寺へ行きました。

6時すぎの広隆寺は誰もいません。

観光地になっているため、いつ行っても参道は人であふれ

とても思惟に耽るどころではありませんが

その朝はその景色にざわめきなど無く何か心が洗われる思いでした。

今回のバイトで得たものは5千円と静かな広隆寺でした。

2007年01月08日

時代祭

京都で面白いバイトに時代祭がありました。

京都では町内会毎に各時代を担当し、その時代の衣装を保管しています。

祭りの当日、私は友人と一緒に指定された公会堂に行き、

衣装をつけました。

私達は鎌倉時代にあたり、

私は足軽の姿に、友人は武将で鎧甲をつけました。

友人は衣装が重いと不平を言っていました。

こんな格好で足が痛くなるわらじをはいて4.5kmも歩くのですから大変でした。

私は友人より運が良かったと思いながら歩いていると、

白人の女性がカメラを持って声をかけてきました。

私はサービスでそちらを向きポーズを取ると

その女性は眉間にしわを寄せ、手で追い払うようにします。

彼女の視線を追い振り向くとそこには鎧甲の友人がいました。

私はすごすごと場所を離れました。

2006年12月30日

得意?の英語

大学1年の時、少しの間パブでウェイターをしました。

ある日、店に白人が2人入ってきてビールを注文し、舐めるように飲んでいました。

すると1人が席を立ち店を出て行きました。

5分もしないうちにその白人がまた1人白人を連れて戻って来、3人でビールを舐めだしました。

すると今度は残っていた1人が店を出て行き、

しばらくすると最初に来たほうのもう1人が出て行きました。

それから10分後カウンターの女性が私を呼びました。

「この外人何言ってるかようわからんわ。あんた大学生やろ、聞いてみて。」

私はびくびくしながら話しかけるとどうやらチェックしてくれと言ってるようです。

私はほっとして3人で飲んだビール5本とオードブル3つの料金を示しました。

すると彼は「ノー。アイ ドランク ワン ビヤー。アイ イーティッド ディス ワン。」

とのたまうではありませんか。

私は必死で

「バット、バット、アーント ゼイ ユア フレンズ?」

と質問しました。

彼は平然と

「ノー、ゼイ アー アメリカン。 アイ アム イタリアン。」

それを聞いた私は

「バット、バット。」

しか言えませんでした。

しかし粘りがちで20分後ついに彼はしぶしぶ全部払って出て行きました。

店長は「二度と外人は入れるな。」と言いました。

それからは外人が入ろうとすると私が飛んで行き。

「アイム ソーリー。ディス イズ メンバーズ ショップ。」

と言って帰らせました。

2006年12月26日

アメリカ人と箸

観光地京都、

中でも有名な嵐山にある観光客用レストラン、

その名も”レストラン嵐山”。

ここで約半年間働きました。

仕事内容は、普段はレストランのウェイターですが

観光バスが着く前には弁当作りにおおわらわ。

テーブルにずらりと並んだ食器に10数人が各自担当の食材が入ったトレイを持ち。

順番に決められた位置に置いていきます。

後から追い立てられる流れ作業で息つく暇もありません。

時間との戦いです。

出来上がったところへ観光バスが到着。

ぞろぞろと(失礼)入って来られます。

時には外国人の団体。

あるアメリカからの団体が来たときメニューはカレーライスでした。

テーブルにはカレーライスの入った皿とスプーンとコップ。

この準備は簡単でした。

ところが食事が始まってすぐ一人の女性が私を呼びました。

”Chopsticks please!"

右手の指を動かしながら言いました。

箸を持って来いと言うのです。

私がが割り箸を渡すと嬉しそうな顔でカレーを箸で食べ始めました。

ポロポロ落ちて見ていられません。

するとそばにいた人たちも口々に

”Chopsticks please!"

と、言い出しました。

結局全員が箸で食べだしたのです。

まあ本人が満足したのだから良かったのでしょう。

他国の文化は感嘆には理解できないものです・

例外は暗記するしか無理でしょうから。


2006年12月22日

映画村その7

映画村ではご存知、銭形平次の撮影が行われていました。

観客が邪魔にならないよう私たちバイトが綱を張って整理します。

そんなある日事件が起こりました。

撮影現場のすぐ横にある小屋に

主役の大川橋蔵がスタンバイで入るのを見つけたおばちゃんたちが騒ぎ出したのです。

「橋蔵さん出てきてー。」

「橋蔵さんサインしてー。」

大声で叫びます。

撮影前の緊張の時間、そんな余裕はありません。

彼は無視して出てきません。

するとそのおばちゃんたちは怒り出して

「橋蔵のけちー。」

「もうあんたのテレビは見ないよー。」

と叫びだしました。

すると彼はさっと立ち上がり小屋を出て帰ってしまいました。

その日のロケは中止になりました、

誰が悪いのでしょうか。

おばちゃんたちも言い過ぎたけど気持ちも分かります。

橋蔵も大切な仕事に真剣に取り組んでいるのだから

怒る気持ちも分かります。

役者は演技をして完成したものを、満足できるものを客に見せたいはずです。

それを金儲けの為、演技の最中に客を入れ、雑音が入ることを厭わない

映画村に問題があると思います。

きっと橋蔵もそういう思いだったでしょう。

よくテレビでNG特集をやっていますが

今時の役者のレベルの低さを見せるようでとても見る気になれません。

本当の役者ならそんなものを放映されたら恥ずかしくてたまらないでしょう。


三船敏郎はスタジオに台本を持って来なかったそうです。

だから彼の主演する映画に出演する役者は全員

台詞を丸暗記してスタジオ入りしたそうです。

これが本当の役者でしょう。

2006年12月20日

映画村その6

映画村ではローテーションで色んな仕事をしましたが

一番辛かったのは団体バス専用駐車場の係りです。

オープンして1週間、”これはたくさんの客がくるぞ”と思った東映幹部、

映画村の入り口から150mのところに団体バス専用駐車場を作りました。

そこへ東映社員のおじさん1人とバイトの大学生2人が朝9時30分に行きます。

そして団体バスが来ると駐車位置を案内して料金を徴収します。

ところが土、日曜日はそれなりにバスが来て大変ですが、

辛いのは平日です。

何せ1日に3,4台のことが多いのです。

実働は15分くらいでしょう。

これは地獄です。

何もしないで1日じっとしていなければいけません。

ポケットに文庫本を忍ばせてそっと読んでいたらおじさんに怒られました。

昼休憩のくるのがいかに待ち遠しかったことか。


確かドストエフスキーが書いていたと思いますが

人間にとって最も過酷な刑は、

囚人にスコップで穴を掘らせます。

掘り終わったらその穴に土を埋めさせ元に戻します。

埋め終わったら又そこを掘らせます。

これを一日中何度も何度も繰り返させ、それを毎日続けるのです。

たいていの囚人は精神障害になるそうです。

人間にとって無意味な仕事、無意味な時間を強制することは

ある意味、死刑よりもひどいことなのかも知れません。

2006年12月18日

映画村その5

ある日スタッフの控え室に用がありバックヤードを歩いていると

通路に一人の女性が立っていて、私に気付くと

「よろしくお願いします。」と丁寧に頭を下げました。

私も会釈して通り過ぎ、どこかで見た顔だなと思って気が付いたのは

数年前に”男と女のお話”で大ヒットした日○ミミさんでした。

しばらく見なかったらこういう事になるんだな(社員だろうがバイトだろうが

とにかく皆に挨拶し、頭を下げる)と芸能界の厳しさを垣間見た思いでした。

彼女はそれから数年経って又、ブレイクできたので

人ごとながら良かったと思いました。

2006年12月16日

映画村その4

サイン会の整理は何回もしましたが色んな人がいました。

裏の顔が良く見えて面白かったです。

一番嬉しかったのは松平純子さんです。

少しマイナーですがポスト藤純子で売り出した3人の内の一人で

拓郎作曲の”両国橋”を歌っていた人です。

サイン会が終わったあとの挨拶のとき

思い切って”握手してください”と言ったら

にっこり笑って手を差し出してくれました。

とても嬉しかった思い出です。

反対に不快だったのはW瀬T彦です。

サイン会場(スタジオなので禁煙)にサングラス、くわえ煙草で現れ

「なんや、ここは灰皿も無いんかー。」

スタッフが大慌てで灰皿を持ってきました。

「お客様入りますー。」

とスタッフから声がかかると

煙草を消しサングラスをはずし満面の笑顔で

「やあ、いらっしゃい。」

と愛想を振りまいていました。

見事な役者魂?でした。

2006年12月14日

映画村その3

翌週はサイン会の会場整理。

サインをするのは山城新伍。

実は彼、15年前に白馬童子でブレイクした後あまり目立っておらず

前年”白馬童子よ何処へ行く”という本を出して再デビューを果たそうという時でした。

そして一冊5百円也の本を買ったら本にサインをして握手をしようという企画です。

ところが開場時間になっても客は2,3人しか来ません。

彼もがっくり、私たちもすることが無くしらけていました。

その時別の場所で歌謡ショーが始まる予定だったので急遽サイン会を取りやめそちらへ。

そして満員の客の前で司会者が紹介、今本を買うとサインをしますと言うと

舞台の下から五百円札を手に持った人が我も我もと前に詰めかけます。

群集心理とは恐ろしいもの、会場は殺気立ち、

バイトの私たちは舞台へ上がり山城新伍や他の俳優ががサインをした本を持っては舞台の前へ行き

金と引き替えに本を渡すという作業をしました。

そして100冊あった本はあっという間に完売しました。

彼は余程嬉しかったんでしょう、

舞台から降りると私の手を両手で握り何度も何度も有難うと言っていました。

その後順調にカムバックでき”ちょめちょめ”などで有名になったのは

皆さんご存知の通りです。

2006年12月12日

映画村その2

オープン2日目も駐車場の整理。

すると11時過ぎに突然一人の社員が走ってきてすぐレストランに行けとのこと。

レストランに行くとそこは大パニック状態。

すぐそこにある白衣を着てウエイターをしろと言われ、

何も知らないまますぐに料理運び。

いやはやひどいところでした。

システムも何もあったものではありません。

これでも儲かるのだから商売とはわかりません。

                            (続く)

2006年12月10日

映画村その1

数々のバイトの中でも特に変わったものはあの有名な京都太秦の東映映画村です。

ここでは色んなことをしました。

映画村オープン初日は正面駐車場の整理です。

ところがスタッフもこんな事をするのは初めて(みんな東映の社員)だから

マニュアルも何もあったものでは無くただバタバタするだけ。

バイトに指示出来る人もいなくてんやわんや。

しかも悪いことに(?)予想をはるかに凌いで次から次へと来場者の波。

駐車場はめちゃくちゃ。映画村の中も人、人、人でめちゃくちゃ。

6時に閉村したときにはもう元気な者はいませんでした。

バイトの一部がひどすぎると文句を言い出しました。

すると幹部達がひそひそ。

明日もバイトが来ないと(明日は日曜日)大変な事になると思ったらしく

1日3千円だったバイト代に大入り袋として500円追加してくれました。

                                    (続く)

2006年12月08日

箸屋

大学に入って最初のバイトは四条河原町と烏丸の中間にある箸屋さんでした。

とても良い場所なので観光客が大勢買いに来られます。

外国人もしょっちゅうだったので得意(?)の英語で必死に接客しました。

皆さんもご存知のように高級店の箸は良い材質できれいな袋に入っています。

大衆店では箸立てに裸で入っています。

少しましな店は普通の箸が袋に入っています。

この袋に入れる作業もずいぶんやりました。

左手に箸袋の束を持ち、右手で箸を1本ずつ刺していきます。

慣れたら10分で1000本ぐらいはできました。

ところがここで不思議に思ったことがあります。

きれいな袋にきれいな箸。

これを10分触った私の手はどういうわけか真っ黒でした。

この箸で皆さん食事をされるのですね。

2006年12月06日

ラムネの検品

こんにゃくのつぎはラムネ製造です。

コンベアーに乗って次々にできてきます。

と、言えばカッコいいのですが

ガッチャン、ガッチャン言いながら一回りしてできたラムネは検品しなければいけません。

検品方法ですか?。

電気スタンドの前でパッとひっくり返します。

ガラス片がキラキラ輝きながら落ちてくるのが見えたららアウトです。

(これは従業員が休憩時に飲みます。

1/5残したら良いそうです。)

私が未だに何とも無いからこの検品方法は正しかったのでしょう。

2006年12月04日

蒟蒻屋

高校、学生時代、数々のバイトをしました。

一番最初は高1の夏休み、ラムネ屋に行きました。

ところが行ってびっくり、そこで最初にやらされたのが蒟蒻製造でした。

実はそこのラムネ屋さん、同じところで蒟蒻も作っていたのです。

蒟蒻の粉に水と炭酸ソーダを入れてかきまぜながら熱していきます。

できたどろどろ状態の物を型に詰め、熱湯につけて茹でます。

そしてできあがった蒟蒻を切り取りながら水槽に投げ込みます。

これが暑いわ(体)熱いわ(手)で地獄でした。

根性の無い今の私にはもうできないでしょう。

冷房のないサウナ室のような部屋でがまん大会をしているようなものでした。