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2007年07月13日

沖縄と台風

沖縄に台風が近づいています。

これで思い出すことが2つあります。

今日はその1つをご紹介します。

20数年前私と妻は新婚旅行で沖縄に行きました。

3泊4日の旅が終わるころ沖縄に台風が近づいてきました。

最終日、那覇市は強風が吹き始めていました。

幸運にも飛行機は欠航にならず無事帰ることができました。

ところがその日、私の知人が前日結婚式を挙げ沖縄へとやってきたのです。

彼ら夫妻は何とか那覇空港に降り立ちましたが雨が強くなり、

そのままホテルへ直行となりました。

そして翌日と翌々日2人はホテルへ缶詰となったのです。

そして4日目、台風一過で晴れ渡った那覇空港から帰ってこられました。

2007年03月08日

鳥取砂丘

広島、岡山に永く住んでいるのに行ったことがありませんでした。

これではいけないと思い一昨年、車で行ってみました。

さすがに観光地ずれはしていましたがやはり砂丘は雄大でした。

一度は行くべき場所だったと実感できました。

リフトに乗って展望台へ向かっていると途中の下に若者が2人いて

リフトにのっている人を写真撮影します。

そしてリフトを降りたらその写真がそこに置いてあり販売しようとしています。

殆どの人は買おうとしません。

でもずっとやっているということはそこそこ売れるのでしょう。

これが香港ならほぼ全員に売りつけているだろうと感じました。

18日の日曜日に再度行く予定です。

カニも食べてきます。

2007年02月28日

国際運転免許証その3

ビバリーヒルズでは有名なルイ・ヴィトンやティファニーに行きました。

と、云っても本当に行っただけです。

一人がティファニーでスプーンを1本だけ買いました。

日本だったら塩を撒かれそうな客でした。

ルイ・ヴィトンの日本人店員がぼやいていました。

日本が不況になって売上げが激減しているそうです。

日本の経済がL・Aの高級店に影響しているんですね。

ツーリストの人が頼まれたギターを買いに行くというので

そこからハリウッドに向かいました。

途中で道がわからなくなり歩いている人に尋ねようとしました。

”エキスキューズミー”と声を掛けましたがその人は手を横に振って立ち去ろうとしました。

顔を見るとヒスパニック系です。

メキシコ国境から近いこのあたりは中南米からの移民や密入国者が多く、

英語が話せない人も多いそうです。

何とか目的のギターセンターに着き、

チャイニーズシアターのあたりをぶらぶらしてから帰途につきました。

途中で大分暗くなってきました。

そんな時です。あたりの風景が変わってきました。

スラム街に入り込んだのです。

こんなところで車を止めたら何が起こってもおかしくないと

ツーリストの人が云います。

街角のあちこちに浮浪者のようなのがたたずんでいます。

恐怖を感じながら一目散に通り抜けました。

高層ビル街に入ったときは本当にほっとしました。

2007年02月27日

国際運転免許証その2

L・Aに行って3日目、自由行動の日です。

他の人はディズニーランド、ユニバーサルスタジオなどオプションツアーに出かけました。

私は友人とツーリストの人と3人でドライブです。

地元のレンタカー会社に連絡するとホテルまで迎えに来てくれました。

後部座席に座ると運転手がシートベルトを締めるようにしつこく言います。

法律なのか、事故の時の賠償の為なのかは

私の拙い語学力では聞き出せませんでした。

レンタカーの希望を聞かれ「コンパクトカー。」

と答えると1500ccクラスの手ごろなのを出されほっとしたものです。

キーを受け取り颯爽と(本当はびくびく)車を走らせました。

当然ですがアメリカでは左ハンドル、しかも右側通行です。

とても適応できません。

中央車線や路側線との感覚が全くわかりません。

右左折の時、どちらの車線に行くのか頭で考えなければわかりません。

L・Aでは右折の時信号が赤でも行って良いのです。

まごまごしているとクラクションが鳴ります。

走り出してすぐ高速道路に乗り、あの有名なサンタモニカに向かいました。

高速を降りて店でコーラを買いました。

ツーリストの人間が店には一人が行き、車に二人残るように言いました。

車を置いていくのも一人だけ残るのも危険だということです。

店に入るとコーラのディスペンサーがあり、セルフになっていました。

紙コップがS.M,Lと3種類ありましたがSでも日本のL並でしした。

サンタモニカでメキシコ人らしい雰囲気の人がやっている店でタコスを買いました。

味はやはり今ひとつ、私には合いませんでした。

次はビバリーヒルズに行きます。


2007年02月26日

国際運転免許証

L・Aに初めて行ったのは平成元年ですが平成7年に再度行くことになりました。

その時現地でレンタカーを借りて好きなところに行ってみたいと思い

免許センターへ手続きに行きました。

意外と知られていないのですが国際運転免許証を取得するのはとても簡単です。

日本の運転免許を持っていれば写真と金(3千円弱)さえ出せば誰でも持てるのです。

免許センターに来ている人は初めて免許をもらう人か違反が多くて更新に来ている人たちです。

その人たちの中で申請をし、待っていると館内放送で

「国際運転免許を申請されている方は○番の窓口においでください。」

その窓口に向かう途中たくさんの視線を感じました。

先程書いた誰でも取れることを知らないので海外で運転をするという

すごい事をする人だと思っているのでしょう。

私は敢えて当然のような顔でしかも手馴れた雰囲気で

そのイメージを壊さないよう大役(?)を勤め上げたのでした。

2007年02月15日

恐るべき中国人

平成2年に香港へ行ったときのことです。

現地では日本語ができる中国人のガイドが付いていました。

総勢40名ほどのツアーでした。

観光地に着くたび子供達が走り寄ってきて色んな物を売りつけようとします。

ビニール製のベルトを持って「10本1000円、10本1000円。」と叫びます。

土産にちょうど良いと買う人がいました。

あんなベルトをあげても誰も喜ばないでしょうに............。

そしてバスが動き出すとバスの窓に向かって「20本1000円、20本1000円。」

と、言い出しました。

さっき買った人が憤慨していました。

まあ一つ勉強になったことでしょう。

ある場所では大人が時計を見せながら

「ロレックス2個で1万円」と云います。

仲間の一人が「すぐ壊れるんやろ。」とひやかしたら

「ダイジョーブ、中身日本製。」と答えました。

こういった商売に引っかかることもなく最終日、空港へ向かうバスに乗りました。

朝早い出発で皆ボウーッとしています。

突然バスが止まり、バスの中に4,5人の中国人のおばさんが乗り込んできました。

彼女達はきょろきょろ乗客の顔を見ています。

一人が私を見たと思うと袋の中からビニールに入った物を取り出し

私にそれを押しつけ「3000円。」と云いました。

ビニールの中には私の写真が焼き付けられた皿と古切手、

コルク製のコースターが入っていました。

その写真はレベルス・ベイに行ったとき中国人ガイドが撮ったものでした。

そういえばあの時カメラを向けたので仲間が一緒にポーズを取ったら

そのガイドが手で振り払いながら「一人ずつ。」と云ったのでした。

それにはこういうわけがあったのです。

私は寝ぼけた頭で「いらない。」と云うと

「ダメッ、コレアナタ。」と写真を指さして云います。

「高い、まけて。」と云いましたが首を横に振ります。

その剣幕に負けてつい払ってしまいました。

やはり日本人は中国人の敵ではないようです。

この人達と商売をしたら勝てるはずがありません。

私も一つ勉強をして帰途につきました。

2007年02月12日

アイト?

オーストラリアのケアンズに行ったときのことです。

オーストラリアはもちろん英語圏ですが発音が少し違っていて

[ei] の発音はすべからく [ai] になります。

あちらで普通の挨拶はグダイトゥダイ(Good day today)、グダイマイト(Good day mate)

とすごくフランクです。

小さな店で買い物をしたら店員の女性に「バケーション?」と聞かれ

「イエス」と答えたら帰るとき「ハブ ア グッド ホリデイ」と云って見送ってくれました。

ある日海岸を散歩していて白人の少女と出会い、話をしました。

年を聞いたら彼女は一言「アイト」と云いました。

最初は意味が分かりませんでしたが考えていて8歳(エイト)だと理解できました。

嬉しくなって財布に入っていた5円玉をジャパニーズコインだと云ってプレゼントしました。

あれから15年、あの5円と彼女の記憶はもう無くなっているでしょうか。

2007年02月08日

乾麺ラーメン

オーストラリアのケアンズに行ったときのことです。

町を歩いていて一軒のラーメン屋を見つけました。

中をのぞくと日本人が営業しています。

オーストラリアの食事に飽きていた私は迷うことなく店に入りました。

席に座ってメニューを見ると”海鮮ラーメン”なるものが日本円にして1,200円もします。

少し高いと思いながらも注文しました。

そしてさりげなく厨房を見ていると店主が手にしていたのは乾麺だったのです。

あの福島ラーメンやマルタイの棒ラーメンのようなものです。

その上に地元ではすごく安いロブスターを載せて海鮮ラーメンのできあがりです。

これはボロ儲けだと思っていたとき私にもひらめきました。

オーストラリアで冷凍うどんを使ってうどん屋をやったら儲かるかも知れないと。

帰国してから少し調べました。

冷凍うどんをオーストラリアに持っていくにはどうすれば良いか。

どの町でやれば一番日本人が多いか。

知り合いのツーリストの人間に相談してみました。

彼は即答でやめとくように云いました。

外国で食べ物屋を開く場合、地元の人間が受け入れることの出来る食材でないと

絶対に成功しないそうです。

そしてうまくいっていても政治問題や経済問題などちょっとしたきっかけで

すべての努力が無になることがあるそうです。

確かにその後あった東南アジアの地震や津波、中国の半日デモ、など何が起こるかわかりません。

やはり餅は餅屋でした。

素人の思いつきで成功した人は何百人、何千人に一人で

あとの殆どの人は痛い目にあったことでしょう。

2007年02月05日

ライスワイン

L・Aに行った翌年、香港とマカオに行く機会がありました。

香港での夕食時です。

北京ダックや海老チリなどおいしいものを食べビールを飲みました。

香港では日本のビールがたくさんあり、そのほうがおいしく高価でした。

私はビールより本場の紹興酒が飲みたくなりボーイを呼びました。

そこで私はある問題に気が付きました。

紹興酒の中国読みがわかりません。

手元に書く物もありませんでした。

ダメもとで”ショウコウシュ”と言いましたがやはり通じません。

その時ぱっとひらめきました。

中国人は英語が堪能(文法が同じだから)だと。

紹興酒は日本酒と同じ米を醸造して造る酒だから

私はおもむろに”ライスワイン”と言いました。

するとボーイは笑顔でうなずき戻っていきました。

そしてボーイがトレイに載せてもってきたものは

なんと茶碗についだご飯でした。

彼は私の言葉を”ライス ワン”と理解してくれたのです。

仕方なく仲間の一人がそのご飯を食べてくれました。

あのときつくづく思ったのは何故中国語を日本読みに変えるのかということでした。

上海は日本でもシャンハイというから通じます。

でも劉備(りゅうび)や曹操(そうそう)や毛沢東(もうたくとう)は通じません。

固有名詞を日本語読みにするときどのように読むか決めるのは誰なんでしょうか。

ちなみに渡辺勇は北京語では”トゥーピヤン”

香港語では”トンピンヤン”と読むと教えてもらいました。(夜の街で)

2007年02月03日

ロス・アンジェルスその3

翌日になっても気持ち悪さは治りませんでした。

あのステーキの味が鼻についています。

朝食もおいしく食べられませんでした。

午前中バスでの移動でいろいろ見て回りました。

そして昼前にあるレストランに到着しました。

ここは昨夜の小汚い店とは違い、おしゃれで大きな店でした。

席に着くと予約してあった料理が出てきました。

それはとても大きなローストビーフでしかも2段重ねです。

見ただけでげっそりしてきました。

それでも根性を入れ直して食べ始めたのですが1枚食べたらもう胃が受け付けません。

近くの席に白人のおじいさんがいてその人は綺麗にすべて食べ終わっています。

そして食後のデザートが出てきました。

ミント味のシャーベットです。

でもそれが入っている器は丼のような大きさです。

1/3食べたところでギブ・アップしました。

そばのおじいさんは当然のように全部食べきりました。

よくこんな国と戦争をしようと思ったとつくづく感じました。

2007年01月31日

ロス・アンジェルスその2

アメリカでの最初の食事が牛丼だったので

夕食は必ずステーキを食べようと決心しました。

今から20年前、日本ではステーキはとても高級で

口にすることは殆どありませんでしたから。

ホテルに戻ると夕食の為に外出しました。

ハリウッドの通りを歩いていくと大衆食堂のような雰囲気の

こじんまりとしたレストランがありました。

外観もあまり綺麗でなく、ここなら安いだろうと思い

店頭のメニューを見るとステーキは約千円でした。

その頃日本では2千円以上したものですから

迷うことなく店内に入りステーキを注文しました。

そして出されたステーキの大きさは靴底ぐらいあり喜んで食べようとしました。

ところが少し感じが違うのです。

ステーキソースがかかって無いのです。

ひょっとして味がつけてあるのかと思い、一口食べました。

全く味がついていませんでした。

しかもパサパサ肉で少しもおいしくありません。

テーブルの上にある調味料はドレッシングと塩だけです。

仕方なく塩をかけて食べましたが全くおいしくありません。

無理して頑張って食べましたが1/3ぐらい残ってしまいました。

ついに気持ちが悪くなったのです。

ステーキを残すなんて考えもしませんでした。

こうして悲惨な食事の1日目が終わったのです。

いや、良いこともありました。

ホテルに戻ると1Fロビーの片隅にバーがあるのを見つけました。

そこに座りウィスキーを注文したらすごく安いのです。

高い銘柄が置いてあるのに1杯が200円から300円です。

そこで飲み始め、ふと隣の客がつまみにナッツを食べているのに気付きました。

バーテンダーの女性にナッツを頼むと彼女はにっこり笑い、

大きなシャンパングラスを持ったかと思うとナッツの入ったトレイにそれを突っ込み

ナッツを山盛りにして私の前に置いたのです。

それが200円ぐらいでした。

日本なら20粒ぐらいで500円取るのに..............。

そのナッツを全部食べるためにウィスキーを何杯も飲むことになりました。

2007年01月28日

ロス・アンジェルスその1

平成元年の2月、大阪の伊丹空港から成田空港経由L・Aへと向かいました。

ロス・アンジェルスをよくロスと略しますがロスというのはスペイン語の冠詞です。

英語のTheと同じでロス・プリモス、ロス・パンチョスのロスだといえばおわかりでしょう。

初めての飛行機での長旅、私は貴重品を入れたバッグを機内に持ち込み足元に置きました。

それが失敗の始まりでした。

狭いエコノミーの座席、身動きがとれません。

途中ですごく気分が悪くなってきました。

今思えば当時は言われなかったエコノミー症候群だったのかも知れません。

辛かった時間も何とか過ぎ、アメリカ大陸が見えてきました。

北から来ているので見えているのはカナダのロッキー山脈でしょう。

心が高ぶってきました。

学校で習った地理が頭に浮かんできました。

夕刻に東京を立ってその日の朝、L・Aに着きました。(時差の為)

カリフォルニアの太陽は強烈でした。

添乗員から荷物は絶対離さないように注意がありました。

バスで移動が始まり添乗員が言いました。

「これからバスはディズニーランドへ向かいます。

行きたくない人はここで降りて夕方までにハリウッドのホテルに集合してください。」

私はディズニーランドに興味が無かったのと一人旅のスリルを期待していたので

迷うことなくそこで降りました。

すると40人ぐらいのうち降りたのは私を入れて4人でした。

バスが走り去り一人が

「まず昼食にしよう。」

と言い歩き出しました。

あとの3人がついていくと目の前に店が現れました。

その店はなんと なんと ”YOSHINOYA"です。

何でアメリカまで来て吉野屋なんかにと思いながら仕方なく入りました。

牛丼は”ビーフボウル、”味噌汁は”ミソスープ”です。

悲しい思いでアメリカ第1食目を食べ終わりました。


2007年01月27日

旅行嫌い

若い頃、変に旅行が嫌いでした。

遠くにあこがれることが下品な気がして。

私の育った福山には隣に有名な尾道がありました。

そこに日本全国から観光客が来ます。

皆、近くにすばらしいものがあるのに無いものねだりで他所に憧れるのだと。

だから本格的な旅行は学校の修学旅行以外、前述の北海道旅行が初めてでした。

それからは学生の気軽さもあり 東京にはもう何度も行きました。

(マイペースの”東京”みたいですね)

就職してからは出張で大阪、名古屋にはよく行きましたが

旅行なんて考えませんでした。

ましてや外国なんて。

そんな私が平成元年、仕事の関係でロス・アンジェルスとハワイにいくはめとなりました。