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2008年09月04日

ネット様様

5年くらい前に森田童子の曲が脚光を浴びました。

テレビ番組の主題歌で使われたのがきっかけでした。

「僕達の失敗」という暗い曲でしたが

私の記憶にあるのは別の暗い曲でした。

20歳の頃ラジオから流れてきて3回程度しか聞けませんでした。

タイトルも知りませんでしたが

出だしの歌詞が

「玉川上水沿いに歩くと..........太宰の...........」でした。

当時ダザイストだった私は

太宰が入水自殺をした玉川上水に絡むこの曲が鮮烈に記憶に残りました。

でも森田童子がリバイバルヒットをしてもこの曲の消息は全くつかめませんでした。

それが先日ふと思いついてネットで調べてみることにしました。

検索サイトに森田童子と歌詞の一部を入れてみたら出てきました。

そしてその曲は「まぶしい夏」というタイトルだとわかりました。

30年過ぎてついに諦めかけていたものが判明したのです。

しかもそれだけでは終わりませんでした。

試しにYou Tubeで検索してみたら

ありました、ありました。

興奮を抑えながらクリックすると曲が流れ始めました。

30年ぶりに聞くことができました。

この曲をアップしてくださった方と

ネットと検索エンジンとYou Tubeに大感謝です。

2008年04月15日

ノスタルジア

大阪のくいだおれが閉店するそうです。

私は中学生の頃名前を知りました。

そして京都の大学に入った春に吹田の友人と一緒に大阪に行きました。

道頓堀へ初めて行き蟹道楽を見ましたが理解できない価格なので諦め

くいだおれに行きました。

ところが名前から想像していた店と違います。

その名前からすごく安くすごい量だと思っていました。

それなのにそこにあるメニューはありふれたどこにでもあるもので

しかも価格は田舎から出てきた私には高めです。

仕方なく入って丼物を食べましたがくいだおれはしませんでした。

二人で「金が無くなってくいだおれするんじゃ。」と言いながら帰りました。

でも先日ラジオで大阪出身の人が

「子供の頃、親に連れて行ってもらうのがすごく嬉しかった。」

と言っているのを聞いて理解できました。

私にも同じような経験があります。

私の育った福山には天満屋が駅前にあります。

日曜日に家族で町へ行くのはすごい行事でした。

家族でバスに乗り駅まで行きます。

そして天満屋に行き、屋上の乗り物に乗り

最上階の食堂で食べるのです。

この食堂には何でもあります。

母親はいつも寿司の盛り合わせを食べていました。

私はいつもカレーライスです。

父親が「カレーなら家でも食べられるのに。」

と言っていました。

カレーを食べ終えたらソフトクリームです。

金属のソフトクリーム立てに載ってでてくるソフトクリームは

特別のもののような気持ちでした。

大阪でこの役割をしていたのがくいだおれだったのだと思いました。

2008年03月13日

究極の寝所

Sが寝たのは救急車、駅のベンチだけではありません。

究極の場所があります。

彼はK大を1年留年して卒業した後 某製パン会社に就職し、

製造ラインの機械をメンテナンスする部門に配属になりました。

地元福山を離れ広島での寮生活でした。

入社して最初の年末、彼は仲間と飲みに行きました。

そしてそのまま車で帰宅したのです。

すると検問にぶつかり、風船を膨らませたら当然ですが反応が出ました。

車を降りるよう指示され線の上を真直ぐ歩くよう言われました。

酔っていたSは真直ぐ歩けませんでした。

すると警官はテレビでよく見るように

「○時○分、飲酒運転で逮捕する、」

と言ってSに手錠を掛けたのです。

Sはパトカーで警察に連行されそのまま留置場に入れられました。

12月だというのに留置場には毛布が1枚置いてあるだけでした。

Sはその毛布の半分の上に体を置き半分を上に掛けて寒さを凌ごうとしました。

しかし12月の留置場はとても寒く歯がガチガチ鳴り

とても寝ることができませんでした。

朝までの時間がとても長かったそうです。

朝になり足音が聞こえてきました。

出してもらえると喜んだのですが

守衛が朝食を持ってきただけでした。

その朝食はコッペパンと水だけでした。

腹が減っていたSは寒さに震えながら

そのコッペパンを冷たい水で喉に流し込みました。

朝食が終わり小1時間経ったころ守衛がやって来て出るように言われました。

そして鉄格子を出たとたんガチャリと手錠を掛けられ腰紐も着けられました。

このときSは本当に悪い事をしたと思ったそうです。

そして取調室に連れて行かれ調書を取られ

両手全ての指の指紋を取られ正面と左右の写真を撮られました。

そして又留置場に入れられ

身元引受人の上司が昼前に来てやっと釈放されました。

そして罰金、免停を受け、

春には会社で1年間昇給停止の処分も受けました。

同窓会で会ったとき皆から

「前科ものとは話をせん。」とからかわれていました。

2008年03月12日

オールナイト

Sは大学受験でまず吹田にある私立のK大に合格しました。

次は姫路にある公立大です。

試験前日、姫路に着いたSは旅館を予約していませんでした。

別に経済的に苦しかったのではありません。

旅館代を小遣いにしようと思ったのです。

Sの目論見は映画館のオールナイトで朝まで過ごそうということです。

受験場の下見が終わったSは駅前の映画館に行き

時間表を見て愕然としました。

オールナイトが無いのです。

オールナイト上映は土曜日しかないのを知らなかったのです。

思案したSは公園のベンチで過ごそうと考えました。

まるでホームレスです。

公園のベンチに座ったSは寒さに根をあげました。

当たり前です。

時期は3月でちょうど今頃です。

一晩ベンチで寝るなんてできるわけがありません。

それでもめげないSは姫路駅の待合室のベンチで何とか朝まで過ごしました。

翌日の試験は当然不合格でした。

彼は私が行った京都のR大も受けていましたが不合格でした。

同じ大学に行かなくて良かったと思います。

明日はSがもっとすごい場所で寝たのを書きます。

2008年03月11日

救急車

Sはそれからまだ10分も うだうだとやっていたようです。

そしてふと気がつくと私たちの姿が見えません。

あわてて外へ出ましたがやはりいません。

Sはタクシーを拾い、うろ覚えの私の下宿へ何とか辿り着きました。

しかし当然私たちは帰っておらず鍵がかかっています。

Sは途方にくれました。

しかしここからです。

私たちの時代はまだ生きていくたくましさ、力強さを持っていました。

Sがどうしたものかと考えているとき、

道路向こうの明かりがついている消防署が眼に留まりました。

Sは道路を渡り消防署に入っていきました。

するとそこに緊急出動用の救急車があります。

Sがドアに手を掛けたら鍵はかかって無く開けることができました。

何とSは救急車の中に入ってそのまま寝てしまったのです。

30分くらい経ったとき消防署員がSに気付き起こしました。

Sは友人の下宿に来たが留守で泊まる所が無いと訳を話しました。

消防署員は救急車の中で寝てもらっては困ると言い、

皆が焚き火をしている所に連れて行き朝までここで過ごすよう言ってくれました。

そうやってSは朝まで過ごし始発電車で吹田へ帰っていきました。

2年前の同窓会での二次会はこの話で大いに盛り上がりました。

帰るときスナックのママが電車の時刻を調べ

Sに始発電車の時間を伝えたので またまた大爆笑でした。

このSという男の面白いエピソードを明日書きます。

2008年03月10日

摂氏0度

昨日書いた温度計で思い出した事があります。

京都での学生時代、札幌の予備校にいる

高校時代の同級生Mが遊びに(?)来ました。

再会を祝して四条河原町のパブで飲みました。

そして、大阪の大学に入って吹田にいるSにも電話をし呼び出しました。

3人で楽しく飲み、そろそろ帰ろうとしましたがSが帰ろうとしません。

そのパブのカウンターレディーにちょっかいを出しています。

何度帰ろうと促しても聞きません。

私たちは「もう置いて帰るで。」と言いましたが無視します。

Mと二人で相談し、いたずら心も出てきて本当に置いて帰ることにしました。

Sは私の下宿に泊まろうと思っているはずです。

私とMはパブを出ると下宿には戻らず、そのまま共通の友人の下宿へ向かいました。

その時河原町のビルの壁面に温度計があり

その温度計は「摂氏0度」を表示していました。

そしてSが吹田に帰るための阪急電車はすでに終電が出ていました。

その後Sはどうしたでしょうか。

それは次回のお楽しみです。

2008年02月11日

大学受験

受験シーズン真っ只中です。

この時期になると思い出すことがあります。

私の最初の受験は兵庫県の関学でした。

三宮のホテルを予約し

当時は新幹線が福山まで来ていなかったので特急で行きました。

田舎の高校生ですからホテルへ泊まるのは初めてです。

前日の夕方ホテルに到着し、食事にレストランへ行きました。

入り口でチケットを渡すとテーブルまで案内してくれました。

そのテーブルには大きな皿が1枚置いてあり

その上に白い帽子のような物が置いてあります。

これが何をするものかわからず只じっと座っていたら

ウエイターは全く近寄ってきません。

まさか頭に被るんじゃないだろうかと(本当に)思ったりして

どうしようか聞こうかと考えていたら

一人の受験生らしい男子が一人入ってきました。

彼は慣れた雰囲気で席に着くとその白い布をさっと広げ

膝の上に置いたのです。

するとウエイターがすぐ料理を持ってきて皿に載せ始めました。

私もそれがナプキンだと気付き急いで膝の上に広げました。

するとウエイターが近寄ってきて料理を置いてくれたのです。

何て不親切なんだとずっと思っていました。

田舎の高校生がまともなレストランなんて入ったことがないのは当然です。

でもこのブログを書いていてはっと気付きました。

ウエイターが持ってこなかった理由を。

私が誰か待っていると思ったのかも知れません。

それなのに余計な気を利かせて膝の上に置くものだと教えたら

それこそ失礼な話です。

ともあれそういった事があり食事は味なんてわかりませんでした。

おまけにフォークとナイフです。

慣れていないので肩に余計な力が入り

食べ終わったときには疲れていました。

そして部屋に戻り明日のために早く眠りました。

ところが夜中に暑くて眼が覚めました。

汗をびっしょりかいています。

部屋の空調が暑すぎたのです。

ところがそれをコントロールできるなんて知りません。

その後は殆ど眠れませんでした。

翌朝眠い眼をこすりながらホテルに頼んでいた弁当を持って受験に行きました。

昼休みにその幕の内弁当を食べると冷蔵庫に入れていたような冷たさです。

食堂があって皆暖かい食事を摂っています。

こんなわけで最初の受験はさんざんでした。

試験が終わるとそのまま阪急電車に乗り京都へ行きました。

ここではクラスの同級生と一緒に

同級生の従兄弟の学生アパートに泊まることになっています。

立命館の試験は2日後と3日後の2日間、2学部受けます。

ですから3泊させてもらったのですが

友人と一緒だったので安心でした。  
                          

2007年12月28日

三つ子の魂

私が小学生の頃よく遊んだのが福山市の中央公園です。

ただ広いだけで何も無く、夏になるとお化け屋敷ができたり

時々プロレスの興業があったりしました。

モーターショーがあってワッペンを貰って回ったのも覚えています。

5年の頃、市民会館ができてとても立派な公園に変身しました。

2,3年の頃そこには紙芝居のおじさんや

関東煮(かんとうだき おでんの事)のおばさんが来て子供に人気がありました。

紙芝居を見るためには水飴を買わなければいけません。

1本5円の水飴を舐めながら紙芝居を見ます。

最初にクイズがあります。

私は得意だったのですぐ手を挙げていました。

正解すると水飴をもらえます。

5円でいつも2本 手に入れていました。

3問ぐらいあったのですが2回目はもう答えさせてくれません。

おじさんは公平だったのでしょう。

紙芝居で最も多かったのが「黄金バット」です。

後に中学生の時テレビで放映され子供ながら懐かしかったものです。

関東煮も1本5円でした。

1日10円の小遣いでしたから紙芝居を見ても1本買えます。

子供心に大きいのを選びます。

するとコンニャクか竹輪になります。

食べた気になるためカラシをたっぷりつけます。

鼻にツーンとくるのがたまりません。

涙がでます。

その時からおでんはコンニャクが一番好きになりました。

次に好きなのが豆腐です。

以前友人たちと飲みに行っておでんの盛り合わせを頼んだときのことです。

皆が好きなものから食べようと決め

私がコンニャクと豆腐と言ったら全員が驚きました。

全員いわく一番最後に残る2つだそうです。

みんなハングリーな子供時代を送っていないんですね。

2007年11月17日

懐メロ

CDレンタルでフォークのCDをを沢山借り

パソコンに取り込んで聴いています。

どの歌にも懐かしさがあります。

当時の思い出も甦ってきます。

高校時代よりも大学時代の歌に思い入れがあります。

京都の景色も浮かんできます。

友人と徹夜で語り合うなど

高校生にはできない事をやっているからかも知れません。

同じゼミには北海道から鹿児島までいろんなところから来ていました。

今みんなどうしているのか知りたい気もします。

2007年10月25日

出前

学生時代に時々行っていた食堂での事です。

電話が鳴りそこの奥さんが出て謝っています。

「えらいすいません。

さっき出ましたさかいもう着くと思います。

ほんまにすいません。」

どうやら出前が遅いのでクレームがきたようです。

奥さんは電話を置くと主人に

「はよ行きっ。

ずいぶん怒ってはったで。」

主人はあわてて出て行きました。

よく笑い話で聞きますが実際見たのは初めてでした。

2007年10月24日

ジンギスカンライス

京都での学生時代、食事は今より大変でした。

弁当屋はありません。

スーパーにも総菜売り場はありません。

よくあって巻寿司程度です。

ですから材料を買って自炊するか外食するかです。

自炊といっても即席麺が殆どです。

そんな中で学生の強い味方は大学生協食堂です。

ランチが150円でした。

鶏肉が殆どでしたがフライが多く腹いっぱいになりました。

大学以外での外食は王将のもんでした。

ジンギスカンが安かったのでいつもジンギスカンとライスでした。

懐に余裕があるときは餃子がつきました。

今思えば硬い肉でしたがとても懐かしさを感じます。

もう30年以上食べていません。

王将本部にメールで聞いたら

岡山では新倉敷店にあるそうです。

その地域に行くことはあまりありませんが

機会を作って行ってみたいと思います。

2007年10月12日

スミが稗を食べた

雀の魂百までと言われますが

私も若い頃の知識で未だに忘れないものがいくつかあります。

中学校の地理の時間、アメリカ合衆国の五大湖を覚えるのに

スミが稗(ひえ)を食べた

と覚えるように言われました。

西から順に

す  スペリオル湖
み  ミシガン湖
ひ  ヒューロン湖
え  エリー湖
お  オンタリオ湖

こうやって覚えなければ1年も覚えていなかったでしょう。

語呂合わせの威力はすごいものです。

2007年08月26日

サルビアの花

私が高3の時大ヒットした曲に”サルビアの花”があります。

もとまろや岩淵リリが唄っていました。

きれいなメロディーに悲しい歌詞がついていました。

でも大人になって聞くと歌詞に疑問がわくようになりました。

これってストーカーの歌ですよね。


いつもいつも思ってた サルビアの花を
あなたの部屋の中に 投げ入れたくて
そして君のベッドに
サルビアの紅い花 しきつめて
僕は君を死ぬまで 抱きしめていようと    (男の勝手な片思いです)

なのになのに どうして他の人のところへ
僕の愛の方が すてきなのに         (ふられただけです)

泣きながら 君のあとを追いかけて
花ふぶき舞う道を
教会の鐘の音は なんてうそっぱちなのさ (未練たらしいです)

とびらを開けて出てきた君は 偽りの花嫁
ほほをこわばらせ 僕をチラッと見た     (ふった男が外にいて怖かったんでしょう)
泣きながら 君のあとを追いかけて
花ふぶき舞う道を
ころげながら ころげながら
走りつづけたのさ

2007年08月18日

フォーク世代

近所に大型書店ができ、新書、古本、新品CD,レンタルビデオCDとすごい品揃えです。

オープンセールでカードを作ったら千円分の商品券がもらえました。

夫婦で作ったから2千円分です。

そしてCDは1枚100円で1週間のレンタルです。

夫婦で10枚借りて千円分商品券を出したので全くの無料です。

今までCDを借りることなんて無かったのですが棚を見てびっくりしました。

私の青春時代であるフォークの品揃えがすごいのです。

CDレンタルは若者がするものだと思っていましたが

店はおじさん、おばさん世代もしっかりターゲットにしていました。

フォーク時代のCDをいっぱい借りてPCに取り込みました。

そして返却し、次を借りようとしてさらにびっくりです。

フォーク音楽の棚が殆ど空になっています。

私と同じ行動を取ったおじさん、おばさんがいっぱいいたのです。

団塊の世代とはよく言ったものです。

2007年08月14日

蝙蝠

黄昏時に蝙蝠が飛び回るのを見ました。

蝙蝠を見ると、夕方まで遊んで

蝙蝠が飛ぶのを見ながら帰った子供の時を思い出します。

蝙蝠には何か不気味なものを感じていましたが

米国のバットマン、日本の黄金バットが少しは親近感を与えてくれました。

イソップ物語でも悪く描かれ 姿もグロテスク」なのに

日米で正義の味方になったのはどういう訳があったんでしょうね。

2007年08月13日

ヒーロー

私にとって最初のヒーローはナショナルキッドです。

その当時は圧倒的に月光仮面が人気でした。

ところが私は幼稚園の時買ってもらっていた月刊誌「ぼくら」に連載されていた

ナショナルキッドに夢中になりました。

月光仮面は唯の人間(?)です。

オートバイに乗り拳銃を撃ちます。

これでは普通の人間(?)です。

ところがナショナルキッドはレベルが違います。

空を飛び、海を潜り、エロルヤ光線を撃ちます。

どちらが上か幼稚園児にも一目瞭然でした。

そしてナショナルキッドの後継者は七色仮面、エイトマンとなっていくのです。

2007年08月05日

パフ

日曜日の朝5時台に時事放談があります。

時事放談と言えば細川隆元、小汀利得の両氏が有名ですが

小汀利得さんが降板したあとは高校の大先輩、藤原弘達さんも出演されていました。

前述の出演者方は歯に衣着せない内容でしたが

当然と言うか超保守的な考えのように思え

若いころはとても共感できませんでした。

その番組の流れを汲む現在の放送を見て

一番驚いたのがエンディングの曲でした。

何とピーター・ポール&マリーの「パフ」が使われていたのです。

PP&Mと言えば反戦フォークで知られ

パフもベトナム戦争の当時、反戦歌のようなものでした。

Puff, the magic dragon lived by the sea

この歌詞の意味は海に住む竜の息と言うのが表向きで

太平洋岸にある米軍基地の攻撃機のミサイルを指していると

聴いた事があります。

まあ現在この番組の視聴者は50、60代が殆どでしょうから

この世代は学生運動に身を投じた人も多いわけで

その人たちを対象の番組がパフを流すのも当然と言えば当然ですが

やはりつくづく時代が変わったと思わざるを得ません。

2007年08月02日

ベ平連

小田実さんが亡くなられました。

また一人日本の良識がいなくなりました。

小田さんがベ平連を結成した時私は小学生でした。

その当時の大人(親や教師)はその事の意義を教えてくれませんでした。

NHKも今よりもっと保守的でした。

全学連は悪だというレッテルを貼り、

ベ平連も同類項でした。

あの頃、学生運動はすごく非難されていました。

親のすねかじりが、社会に出たことが無いひよこがと............。

でもその運動が下火になり学生になった私は

あの頃の学生のほうが数段立派だったと思いました。

今振り返ってみてもその考えは変わっていません。

私が行った大学は当時、学生運動が激しいと言われた中のひとつでした。

わだつみの像の破壊、”二十歳の原点”の作者、高野悦子の自殺等。

でも私が入学したときそのすべての痕跡は消えており

自治会はミン○イが牛耳っていました。

ミン○イの大した知識も思考力も無く共産かぶれした学生たちに反発したものです。

ミン○イの存在を否定はしませんが

あの金太郎飴のように同じ言葉で同じ意見を言う彼らに

ひとつも共感は感じられませんでした。

考えてみれば今の北朝鮮のように

同じ教科書で同じ事を教わっていたのでしょう。

ミン○イについての後日談はまた明日お話します。

2007年07月27日

蝉の声

朝早くからセミが鳴いています。

子供の頃の夏と一緒です。

昔は冷房が無かったから窓を開けていたため

今よりもよく聞こえていました。

いつから冷房が当たり前になったのでしょうか。

小2の頃、福山駅前にあるT百貨店では

夏になるとショーケースのあちこちに扇風機が置かれ

首を振って風を送っていました。

さすが百貨店だから扇風機の数も多いと感心していたものです。

あの頃は扇風機で充分満足していました。

尤もうちわよりも贅沢になったのは

今扇風機よりエアコンとなったことと

本質的には変わらないのかも知れませんけど。

2007年07月15日

酸っぱい素麺

私は子供の頃、素麺が大嫌いでした。

その理由は酸っぱいからです。

意味がわからない方もおられるでしょう。

私の両親、とりわけ父親は酢が大好きでした。

その為素麺を食べるときのつゆは酢醤油だったのです。

普通の米酢に醤油を加えたものです。

これが子供の舌には耐えられません。

それなのに夏になるとしょっちゅうです。

今と違ってその時代、出されたものが嫌でも

他に食べるものはありません。

辛い思いで食べるしかありませんでした。

ですから心底、素麺が嫌いでした。

中学1年の夏のことです。

友達の家に遊びに行っていたら友達の母親が

「もうすぐお昼だけど素麺で良かったら食べていきなさい。」

と言ってくれました。

私は友達に小さな声で

「素麺は酸っぱいから嫌いだ。帰って食べてくる。」

と言いました。

友達は不思議そうな顔で「

「素麺は酸っぱくないよ。」

と言うのです。

ここの素麺のつゆは酢が少ないのかと思い

言葉に甘えてご馳走になることにしました。

そして出てきた素麺を見て吃驚です。

ガラスの器に入った素麺の上には缶詰のみかんやサクランボが載っています。

そして出されたつゆは見慣れたものと少し色が違います。

食べてみてさらに吃驚です。

とてもおいしいのです。

友達の母親が作ったつゆは現在の市販のつゆのような味でした。

素麺がこんなにおいしい食べ物だったとは。

その日家に帰ると私は両親に失った10年を抗議しました。

次から母親はつゆを作ってくれるようになりました。

2007年06月10日

金持ち

昭和30年代、殆どの家庭は貧乏だったと思います。

だから貧しくてもみんな平気でした。

靴下やズボンに接ぎ当てがあっても恥ずかしくはありませんでした。

尤も一部にすごく貧しい家庭の子もいて

子供は残酷ですからそういう子は苛めていました。

やはり人間は自分よりも下を創りたいものなのでしょう。

そんな時、5年生になって金持ちの子が現れました。

自動車会社の社長の子です。

日曜日にお城へ写生に行くことになり

彼の家の前に集まると運転手付きの黒い車があり

皆を乗せて行ってくれました。

降りるとき運転手がその子に

「帰りは来れませんからタクシーで帰ってください。」

とタクシー券を渡していました。

家庭科の時間、先生が朝食の献立を聞きました。

殆どの子はご飯にみそ汁、目刺しや漬け物などと答えていましたが

その子は紅茶とショートケーキ、フルーツと答え

先生も児童も沈黙してしまいました。

そんなある日、彼の家に遊びに行きました。

そこでおやつに出されたのはプリンでした。

私は見たことはあるけど食べたことはありませんでした。

一口食べてそのおいしさに吃驚しました。

この世の中にこんな美味しい物があるなんて。

勿体なくて全部食べてしまうのが惜しく、

ゆっくりゆっくり味わいながら食べていました。

するとその子は自分のをぺろっとたいらげると

まだ半分以上あった私のプリンにスプーンを入れ食べ始めたのです。

私はあせりました。

その子の家だからやめろというわけにもいかないので

そこからは彼と競争で食べたのです。

後半は全く味わえませんでした。

40年経っても忘れられない悲しい思い出です。


2007年04月24日

テレビ

映画で”ALWAYS三丁目の夕日”がありましたが

私たち以上の年代の人は殆ど残らず郷愁を感じたでしょう。

家にテレビが来るというのは大イベントでした。

その日は授業中も落ち着かず学校が終わると飛んで帰ったものです。

私の家にテレビが来たのは昭和37年、小1の時でした。

それまではテレビがある友達の家に当然のように見に行っていました。

でも午後6時までしかダメでした。

暗くなるし、どこの家庭でも夕食の時間になるからです。

場所も家の者が前で私たちは後ろでした。

その頃見ていたのはアメリカの漫画で猫が主役の”フィリックス君の冒険”、

おなじみ”ポパイ”、”ちろりん村とくるみの木”などです。

それが家にあると6時以降も見ることができるのです。

幸福を感じました。

でも姉とのチャンネル争いという喧嘩の新しい原因もできました。

6時をすぎると”みんなの歌”、”黒百合城の兄弟”、”不思議な少年”

など今考えれば本当に教育的な番組が作られていたものです。

それが”ひょっこりひょうたん島”ぐらいから少しずつ変わってきます。

サンデー先生がいくら教育的な指導をしても

子供達は言う事をあまりききません。

テケは乱暴ですぐ「やい、やい、トラヒゲ。」と大人にでもかかっていきます。

チャッピはお転婆、ダンプはすぐ「腹へった。」

ドン・ガバチョは大人のずるさを見せてくれました。

彼の笑い声「はた、はっは。」は台本にミスがあったのを

藤村有弘が面白いといってそのまま読んだそうです。

この番組は言葉が汚いとPTAからよく抗議を受けました。

そういう番組が一番心に残っているのですから

劇薬的効果があったのと井上ひさしの能力が秀でていたのでしょう。

”三丁目の夕日”は続編ができるそうです。

とても楽しみです。


2007年04月20日

かまど

私が生まれたのは昭和29年です。

戦争が終わってまだ9年です。

4歳まで広島県の北部にある甲奴町にいました。

雪が良く降るところでした。

父親が大きな雪だるまを作ってくれたのを覚えています。

家にはまだ電気炊飯器はありません。

ガスこんろもありません。

母親がかまどに火をおこし、炊事をしていました。

母親から聞いたことですが私は粉ミルクを飲んでいたので

夜中に飲ませる時はかまどに火をおこすところから始まったそうです。

今の母親には絶対できないでしょう。

電気炬燵はありましたが今のような形では無く

(あんかを大きくしたような)四角い箱のようなものです。

ですから足を中に入れるというのでは無く、

足を当てるといった感じです。

その炬燵にあたりながら

ラジオから流れてくる相撲放送を聴いていた記憶があります。

一番の娯楽はラジオです。

朝はいつも”パパ行ってらっしゃい”を聴いていました。

中村メイコさんが何役もやっていました。

主題歌は

  時計がね 鳴りました
  きーたん何時かわかるでしょう?

  わかりますよ えーとね えーとさ わかんない

  ほらほらパパのお出かけよ
 
  パパのかばん持ってあげる
  
  お靴もぴかぴかみがいたら  
  駅までパパをお見送り
  
  パパ行ってらっしゃい
  パパ行ってらっしゃい
  パパ行ってらっしゃーい

こういうどうでもいいことを本当に良く覚えていると

自分でも感心します。