映画で”ALWAYS三丁目の夕日”がありましたが
私たち以上の年代の人は殆ど残らず郷愁を感じたでしょう。
家にテレビが来るというのは大イベントでした。
その日は授業中も落ち着かず学校が終わると飛んで帰ったものです。
私の家にテレビが来たのは昭和37年、小1の時でした。
それまではテレビがある友達の家に当然のように見に行っていました。
でも午後6時までしかダメでした。
暗くなるし、どこの家庭でも夕食の時間になるからです。
場所も家の者が前で私たちは後ろでした。
その頃見ていたのはアメリカの漫画で猫が主役の”フィリックス君の冒険”、
おなじみ”ポパイ”、”ちろりん村とくるみの木”などです。
それが家にあると6時以降も見ることができるのです。
幸福を感じました。
でも姉とのチャンネル争いという喧嘩の新しい原因もできました。
6時をすぎると”みんなの歌”、”黒百合城の兄弟”、”不思議な少年”
など今考えれば本当に教育的な番組が作られていたものです。
それが”ひょっこりひょうたん島”ぐらいから少しずつ変わってきます。
サンデー先生がいくら教育的な指導をしても
子供達は言う事をあまりききません。
テケは乱暴ですぐ「やい、やい、トラヒゲ。」と大人にでもかかっていきます。
チャッピはお転婆、ダンプはすぐ「腹へった。」
ドン・ガバチョは大人のずるさを見せてくれました。
彼の笑い声「はた、はっは。」は台本にミスがあったのを
藤村有弘が面白いといってそのまま読んだそうです。
この番組は言葉が汚いとPTAからよく抗議を受けました。
そういう番組が一番心に残っているのですから
劇薬的効果があったのと井上ひさしの能力が秀でていたのでしょう。
”三丁目の夕日”は続編ができるそうです。
とても楽しみです。
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