朝青龍

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今議論が沸騰中です。

朝青龍に厳しい意見が主流になっています。

私は最も責められるべきは親方だと思います。

彼の指導力の無さが一番の原因です。

昔から力士は中学を卒業するかしないかのうちから部屋に入り

世の中の常識から相撲界のしきたり、封建社会での身の処し方等

すべてを教わっていきました。

ともすれば村一番の暴れん坊だったような若者が

きちんと社会常識をつけるためには親方とおかみさんの

厳しく愛情のある躾は欠かせませんでした。

彼の場合モンゴルから高知の明徳義塾に入り、

言葉と相撲を覚えるのに大変だったでしょう。

モンゴル相撲を見ると勝者は強さを鼓舞するのが当然のようです。

神事であった相撲は今でこそガッツポーズを取るような者もいますが

私の若い頃は勝っても顔色ひとつ変えず、

土俵上では気合の声を出しても批判されたものです。

双葉山が今に至るまで名横綱と言われるのは強さもさることながら

人間的に立派だったことが大きいのです。

69連勝でストップしたとき

「我、未だ、木鶏たりえず。」

の名言を残しました。

真の相撲道を探求していた彼だから言えた言葉でしょう。

そのような文化の違いや考え方の違いを教えることができるし

教えなければならない立場にいるのは親方だけです。

それを教えて見に付かなかったら関取になる前に

やめさせるべきだったのです。

それを強いからといっておだて上げ、増長させながら

ここまできてしまったのですから

彼もある意味、被害者のような気がします。