満90歳になりました。
まだまだ元気ですし頭もしっかりしています。
若いときに何度も死に掛けて死んでいません。
戦争が始まって父は少年航空兵を志願しました。
その頃は皆のあこがれだったらしく
相当な難関を突破して見事合格しました。
ところが入隊後、体調を崩して除隊となりました。
除隊になっていなければほぼ戦死していただろうと言っています。
次に陸軍の暗号係に配属されました。
この暗号係というのも大変な任務だったようで
講義は一切ノートを取ってはだめで
教科書も時間ごとに回収されました。
すべて頭に叩き込み証拠になるものは残さないためです。
同期には京大の学生もいてその人は後に関西大学の教授になりました。
私が20年前大阪に行ったとき父親の代わりにお会いしてきました。
法学部の教授で自著をいただきましたが私には猫に小判でした。
その日本の暗号が殆ど米国に洩れていたことについて父は
「日本の暗号は世界一難しく解読できるはずは無い。
暗号に関わる人間の中に中国人などのスパイがいたんだろう。」と言っています。
話がそれましたがその父が暗号係として任務していたのが広島市でした。
そして昭和20年8月6日を迎えたのです。
爆心地から数キロの場所で被爆したのですが
幸いにも建物の中にいて直撃からは逃れました。
そして部隊も壊滅して市内から可部の親戚に向かって歩いている途中
あの「黒い雨」が降ってきました。
父は本能的に危険を感じ、竹やぶに座って毛布を被り
雨が止むまで待ったそうです
原爆での2回目の死を免れ
黒い雨での3回目の死も免れました。
60歳過ぎには心臓のバイパス手術も受けており
今でも薬を手放せませんが元気一杯です。
この人生は結局運が良かったんだろうと思います。
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