旅行 その5

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三条通りを右折するとすぐに嵐電太秦駅です。

最初に下宿した薬局の前を通り大映通りに入りました。

そして迷うことなく左折し4年間通い慣れた店”むらさき”へ行きました。

ここにはすごい思い入れがあります。

本当に4年間通いつめました。

毎日家庭料理を食べさせてもらいました。

酒もたくさん飲みました。

カープ初優勝の時もここで友人4人と祝杯をあげました。

卒業式の日も京都最後の夜をここで飲みました。

親が電話してくるのもこの店の電話番号を教えてかけてもらいました。

”むらさき”は倒産した大映の前にあり東映の社員や俳優、大学生で賑わっていました。

お父さんは元東映の社員でお母さんと娘3人とおばさんの5人で切り盛りしていました。

末の娘はその頃高校生で学校から帰って制服のままエプロンをつけて手伝っていました。

感心な娘たちでした。

本当にアットホームな店でよくしてもらいました。

あるとき友人と2人とも金が底をつき学校に通う電車賃も無く

毎日片道1時間を歩いて学校に行っていました。

空腹で歩いて帰るうちに辛くなりおもわず”むらさき”へ電話すると

長女のお姉さんが

「タクシーに乗っておいで。」

と言いタクシーで着くと代金を払ってくれ

食事をさせてくれました。

あの時は本当に涙が出ました。

東映大道具係りの小原さんともここで知り合いになり

他の店に連れて行ってもらいご馳走になりました。

卒業のときは餞別まで頂きました。

さて”むらさき”の前まで来ましたが見当たりません。

大映の跡地は太秦中学校になっています。

記憶間違いかと考えていたらすぐ近くに居酒屋があります。

そこに行って聞いてみようとドア開けると中に仕込み中の店主がいました。

私「すみません、つかぬ事をお伺いしますがこの辺りに”むらさき”という食堂がありませんか。」

店主は少し間を置いて

「”むらさき”ならありましたがもう10年位前に閉店しましたよ。」

黙っている私に

「この店の3軒となりでしたよ。」

と教えてくれました。

礼を述べて店を出ました。

3軒隣には新しい民家が建っていました。

もちろん表札は違います。

その場所をじっと見ていると”むらさき”の風景が頭の中に蘇りました。

その時私の一つの時代が完全に終わったのだと悟ったのでした。

青春のかけらを探しに行ったのにかけらはありませんでした。

17年前仕事で京都に行ったとき”むらさき”に寄ったら覚えていてくれて歓迎してもらいました。

その時少し寂れているように思え、

客も少なかったので状況を長女のお姉さんに聞いたら

「仕方おへんえ。今時の学生さんはもっと小洒落た店に行くさかいに。」

と寂しそうに笑っていたのが思い出されます。

お姉さんは30過ぎて結婚しその時子供が来ていました。

私の長男と同じ年でした。

その時は小3でしたがもう26のはずです。

これが時代の流れなんでしょうがこの歳になっても無常は辛いものです。

いやこの歳だからだんだん辛さが増すのかも知れません。

”むらさき”をネットで調べてもわからず もやもやしていたのですが

これですっきりしました。

京都を後にします。         (続く)