コンビニ前に座り込んで物を食べている若者を見ても
以前ほど気にならなくなりました。
最初はすごくびっくりしたものです。
今でも嫌悪感は少しありますが慣れとは怖いものです。
先日街中でカップラーメンを食べながら歩く若者を見ました。
信号で停まってずるずる食べていました。
日本人としての躾が無くなっていっています。
子供の時、雑誌に
オランダ人はアイスクリームを歩きながら食べると書いてあって
本当だろうかと思ったことがあります。
私達が子供の時には”買い食い”という言葉があり
買ったものをすぐ食べるのは罪悪のように教えられました。
私は子供達が幼少の頃スーパーで菓子を買っても
家に着くまで食べてはいけないとしつけました。
車の中で食べたがっても駄目だと言うと
諦めて家まで我慢していました。
今では自転車に乗って物を食べたり電車の中で物を食べたりするのが
男性だけでなく女性でもいるようです。
(これは差別意識でなく自分を飾り立てている女性が
行動を飾らないところに矛盾を感じるからです。)
自分の知らない人間の目を全く気にしない風潮が蔓延してきたのでしょう。
昔は「天知る地知る人が知る」と言って
全く知らない他人の目でも気にして恥じる行動はとらないようにしていたものですが。
人の上に立つ政治家が厚顔無恥なことをしながら
自分を棚に上げて
戦後教育が悪いと平気で言うような時代だから仕方ないのでしょうか。
甘木(あまぎ)直人(なおひと)
>自分を飾り立てている女性が行動を飾らないところに矛盾を感じる
優れた感性ですね。造作の美は内面の水準をあらわします。
そして、食事の作法も歩き方も、細かなしぐさもあらゆる種類の息遣いも言葉遣いも、すべての造作の美は機能美に行き着きますから。
有形の美は真似出来ても、無形の美は真似出来ないのでしょう。その為には、文明人の強さとしての知能や自律心や良識やが必要ですから。そんな有様の者や、それを赦す者の人格を尊重すべきでないのは理の当然。差別意識に話柄が移っても当然のことです。
平将門が、強力な援軍になるはずだった者からその立ち居振る舞いや作法の下品さを見抜かれて、天下を取る器でないと即刻見放されたのもむべなるかなです。
物に価格があり、人間に人格があります。人格の評価は品格一本で定まりますからね。品格がなければ、人はただの機械や部品や道具やとして扱われるだけです。