太宰のどの小説にあったのか忘れましたが、
学生時代から今まで忘れないフレーズがあります。
「他人を説教する人がいるけれど、
本当に偉い人は説教なんてしやしない。
ただ黙って微笑みながらこっちを見ているだけだ。
だけどその笑顔がとっても澄んでいるから、
こちらが恥ずかしくなるんだ。」
自己弁護が多い太宰だけどその中にも輝く言葉がありますね。
太宰のどの小説にあったのか忘れましたが、
学生時代から今まで忘れないフレーズがあります。
「他人を説教する人がいるけれど、
本当に偉い人は説教なんてしやしない。
ただ黙って微笑みながらこっちを見ているだけだ。
だけどその笑顔がとっても澄んでいるから、
こちらが恥ずかしくなるんだ。」
自己弁護が多い太宰だけどその中にも輝く言葉がありますね。
F教授からはよく云われました。
「勉強は好きな者がやればいい。君は酒の飲み方を勉強して社会へ出ろ。」
私の卒論にはAを付けてくださいました。
卒論の感想を伺ったら
「目をつぶって読んだからよくわからん。」
その教授から聞いた話で一番心に残っているのは“縁側”についてです。
教授の家にも縁側がありました。
その縁側を見ながら
「縁側とは縁(ふち)にあるから縁側と言うんでは無い。
人と人との縁(えん)を作るところだから縁側と言うんだ。
人が訪ねて来たとき、家に上がってもらうほどの事が無くても
縁側に座布団とお茶を出せば立派な応接間になる。
そこで話す事によって人と人との縁が深まっていくんだ。」
私も将来家を建てることがあれば縁側を作ろうと思いました。
35歳の時,家を建てましたが残念ながら住宅メーカーのモデルには縁側が無く
平凡な家を造ってしまいました。
岡山市に住んでいるのでなかなか行くことの無い瀬戸大橋温泉やま幸に十数年振りに行きました。
最初に思ったのはすごく客が少ないということです。
おかげですごくゆったりと入ることができました。
ここには循環式と掛け流しの両方があり飲用もあります。
でも休憩スペースには不満が残りました。
ムービールームがあるのに映画は上映して無く、
禁煙の休憩スペースとしてテレビが1台置いてありました。
普通の休憩スペースは喫煙OKですごく不健康ルームとなっていました。
禁煙者より喫煙者を優遇するのは今時珍しく、希少価値が出るかもしれません。
高2の夏、トルストイに挑戦しました。
先ず躓いたのが名前です。
主人公は確かネフリュードフ(ドミートリイ・イヴァーノヴィッチ)という名前だったと今でも覚えています。
なぜ今でも覚えているかといえば何度も読み直したからです。
長編なので一気に読むことができず続きを読もうとしたら
脇役の名前がこんがらがって前に進めないのです。
名前が難しすぎます。
こんなのは覚えられません。
仕方なく数ページ戻っては読み返すということを繰り返した為、
一夏かかっても読み終えることが出来ませんでした。
それ以来ロシア文学は「罪と罰」しか読んでいません。
(主人公の名前はラスコーリニコフでした。)
今週開業して丸10年を迎えました。
平成8年10月10日に期待と不安の中オープンし、
色んな事があった10年でした。
もちろん努力もしましたが
それ以上に友人やお客様に助けられた感があります。
10年の間には赤ちゃんだったのが小学生になったり
逆に亡くなられた方もおられます。
10年間お世話になったすべての皆様に心より感謝致します。
今では当たり前になった携帯電話。
私の学生時代は余程の金持ちの子で無い限り、
間借りの下宿生活で固定電話もありませんでした。
大切な用件は大家さんが呼び出してくれるけれど、
あまり頻繁だと渋い顔をされるので
友達同士、お互いかけるのを遠慮していたものです。
ある時、仕送り日を前にして金が底をつきました。
同じ下宿のもう一人も無くなりました。
二人で空きっ腹を抱えて対策を考えました。
周囲は貧乏な者ばかりでなかなか良い案が思い浮かびません。
結局Mなら持っているかもと二人でMを訪ねることにしました。
電車賃も無いので5kmぐらい歩いて行きました。
Mの下宿に着きましたが悲しいことにMはいませんでした。
1時間ぐらい待っていましたが帰ってきません。
あきらめて下宿に帰り、今日は飯抜きかと寝転んでいると
階段を駆け上がる音がしてなんとMが入ってきたのです。
私の気持ちはいっぺんに明るくなりました。
すると私が話す前にMが口を開きました。
「おい、何か食わしてくれ。金がのうて今朝から何も食うとらんのや。」
「.......................]
卒論の指導を受けるため、F教授の研究室を訪ねました。
教授は機嫌良く迎え入れて下さり、飲み物も用意して下さいました。
その飲み物は...........梅酒...........でした。
教授は「研究室では酒は飲まない。これは酒では無いぞ。腹痛の薬だ。」
私たちの気持ちを察してこう云われたのでした。
株の売買を始めて20年になります。
最初は暗中模索の中で行っていましたが6年前から数人の仲間と本気で勉強することになり
みんなで勉強しながら投資をしています。
すごく奥が深く、なかなか思うようにはいきませんがそれでも損をせず、
そこそこ利益を上げてきたのはNリーダーの力に負うところが大でした。
本日も例会があります。今月は3ケ月ぶりに配当が出ました。
やはり現金という形で勉強の成果がでると心が弾みます。
F教授からは色んな事を教わりました。
もちろんその殆どは飲みながらですが........
ある時、例によって3人で飲んでいるとつまみが1つだけ皿に残りました。
そう、あの有名な“”です。
私がその事を話すと、
F教授「渡辺君、1つ残らないようにするにはどうしたら良いかわかるか?」
私「わかりません。どうしたら良いのですか?」
F教授「最後から2つ目を食べる者が2つとも食べるんだ。」
私「???」
この答えについては30年経った今でも謎です。
連休の初日午後から近くのほのかの湯に行きました。
露天風呂にあるごろ寝湯で寝転ぶと青空が見えます。
空に幾つかの雲が流れています。
この雲をじっと見ているのが好きです。
色んな事が頭に浮かびます。
子供の頃、雲に乗れたらと思っていた頃の事、
孫悟空のきん斗雲(きんとうん)の事、
黛ジュンの歌で「雲にのりたい」、
たくろうの「明日に向かって走れ」の冒頭
山村暮鳥の詩
おーい雲よ 悠々と 馬鹿に呑気そうじゃないか 何処まで行くんだ ずっと磐城平の方まで行くんか。
いいですねー。
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