景気が悪くなっています。
経企庁が何と言おうと関係ありません。
商売をしていると実感でわかります。
以前評論家が長官になり言葉で遊んでいました。
曰く、踊り場だ、底をうった、下げ止まりだ、息吹を感じる............。
この人を評価する声も多いけれど
地方で細々と商売をする身にとっては
絵空事の世界を見る思いでした。
経企庁が何を言うかより
現場で感じることを
景気のバロメーターにしていますから。
景気が悪くなっています。
経企庁が何と言おうと関係ありません。
商売をしていると実感でわかります。
以前評論家が長官になり言葉で遊んでいました。
曰く、踊り場だ、底をうった、下げ止まりだ、息吹を感じる............。
この人を評価する声も多いけれど
地方で細々と商売をする身にとっては
絵空事の世界を見る思いでした。
経企庁が何を言うかより
現場で感じることを
景気のバロメーターにしていますから。
野球の広島ー巨人戦を観ていました。
エースと四番バッターが抜けたカープが必死で戦っています。
巨人はそれこそ無茶苦茶です。
日本ハム四番の小笠原がいます。
ヤクルト四番のラミレスがいます。
オリックスで首位打者になった谷がいます。
カープのキムタクもいます。
投手は昨年最多勝だったヤクルトのグライシンガーです。
リリーフで出てくる投手は西武の押えエースだった豊田です。
締めくくりに出てくるのは「ハマのクルーザー」だったクルーンです。
横浜の門倉も出ました。
生え抜きで出てくるのは金にものを言わせて逆指名で入れた選手です。
こんなチームを一生懸命応援しているファンがいます。
個人の趣味ですからこんなチームを応援する人がいてもいいですが。
この試合を見ているとき次男から聞きました。
私たちはアメリカを「人種のるつぼ」と習いましたが
今では「人種のサラダボウル」と言うそうです。
つまり融合が進まず、グループ化が顕著だからです。
巨人はさしずめプロ野球のサラダボウルでしょう。
大学病院の新館の病室に行ってきました。
最新式の設備が揃い綺麗で申し分ないようですが
一つ気にかかりました。
それはエレベーターです。
3基あるのですがすごく遅いのです。
車椅子の患者もいるからスローなのはわかりますが
いつ来るのか全くわかりません。
初めての時ボタンを押して3分待ちました。
遅くても状況がわかれば我慢できるのですが
階表示が無く、来る直前にライトが点滅します。
人間は今置かれている状況が把握できないのはすごく不安です。
5階に用があるのですが
帰る時もボタンを押して1分以上経ったので非常階段を下りました。
2回目に行った時は階段を上りました。
4階あたりで足が重くなりました。
でも いらいらしながら待つよりましです。
帰る時も当然歩いて下ります。
非常階段は照明が消えていますが
人が来ると感知して点きます。
行き過ぎると消える省エネ設計になっています。
短気な人が次々歩くのを見越して設計しているのかもしれません。
取引銀行の担当者を見ていると気の毒になります。
本当に色んなキャンペーンがあってきついノルマをあてがわれています。
消費者金融並みの高金利の商品を借りてほしいと泣きついてこられます。
こういう商品を売るのは至難の業だそうです。
普通の会社は借りてくれません。
貸して欲しいというような会社は審査ではねられることが多く
持っていくところに困り
つきあいで短期間でも借りて欲しいとお願いします。
保険も売ります。
年金も売ります。
今の管理職が若い頃はこういう商品は売っていませんでした。
自分達は苦労していないのに
今の若い行員に
「売るまで帰ってくるな。」
と叱咤激励です。
他人の気持ちを忖度するような人は
管理職には向いていませんね。
後期高齢者保険制度について反発が治まりません。
政府の今までの対応には大きな問題がありました。
しかしマス・コミの一方的な報道もどうかと思います。
理論だった議論ができていません。
今朝もニュースである女性が
「夫と保険が違うなんて離婚させられたような気がする。」
とマイクに向かって言っていました。
私には全く理解できない論理です。
テレビは文句を言う人がいれば
内容を吟味しないで放送するようです。
感情論で進めて行くと
問題の本質とかけはなれた議論になってしまいます。
マス・コミは世論を操作することができます。
ある問題に対して賛成意見と反対意見が同数でも
反対意見をたくさん放送することで
国民の意見は反対だと思わせることができます。
受け手の私達がしっかり見極めなければいけません。
雨が良く降ります。
雨の嫌いな私には
雨が降ると思い出す詩があります。
ヴェルレーヌの有名な詩です。
「巷に雨の降るごとく、わが心にも涙ふる..........]
中島みゆきが
「雨が好きです...........]
と唄っても本当は嫌いなのが見えます。
「雨音はショパンの調べ..........」
と思うのは当分無理なようです。
いや、もう無理なのかも知れません。
爆音が聞こえる外を見ると
真っ赤で大きな翼をつけたスポーツカーが見えてきました。
これが私の親がボロクソに言っていたマツダRX-7です。
私は只笑うだけです。
止まってもターボなのですぐにはエンジンが切れず
腹に響く爆音は止まりません。
甥に
「リッター6kmぐらいか。」
と聞いたら
「もっと悪い。高速で4kmくらい。」
ますます笑うだけです。
助手席から可愛いお嫁さんが出てきて挨拶をします。
二枚目半の甥には釣合いませんがまあ良しとしてもらいましょう。
職場結婚ですが良い雰囲気です。
仲良くやってもらえると思います。
その夜は鯨飲でした。
話したことの半分ぐらいしか覚えていないようです。
次の日気がついたことを話したら
「夕べも同じ事を言っとったが」
と呆れられました。
翌日昼は豪華な寿司を食べ
広島ならではのカープの試合をテレビで観戦し3時前に帰りました。
私たちは井原を抜ける一般道で帰り
岡山市内のバイパスだけが混んでいたのでそこだけ迂回し
2時間弱で我が家に辿り着きました。
ほっとしてビールを飲んでいると親から電話が入り
私たちのすぐ後、甥夫婦も大阪に帰ろうと出発しましたが
高速がすごく混んでいて倉敷で降りたとの事です。
甥に電話をすると美観地区に行って時間をつぶして帰るそうです。
倉敷に行くなら私たちの後をついてきたほうが早かったでしょうに。
まあ若いから大丈夫でしょう。
翌日昼過ぎにお嫁さんから電話が入り夜中の12時頃着いたそうです。
思い出深い旅行になったことでしょう。
太秦から天神川に沿って南下し大阪方面に向かいます。
途中で高槻のジャスコに寄り地元の土産も手に入れます。
茨木インターから高速に乗る予定ですが
朝、大津で高速の道路情報を聞いたら
吹田周辺で18kmの渋滞と言っていました。
今もそのままなら豊中まで下を通ろうと思い
大阪にいる甥に電話をしてネットで調べてもらいました。
茨木インターの入り口に着いたとき連絡が来て
(もちろん運転している私では無く妻が出ます)
混んでいないとの事です。
迷わず高速に乗るととてもスムーズに流れます。
本当についています。
空腹だったので行きと同じ 今度は下りの西宮名塩SAに寄ります。
すると第一日曜は全品2割引との事、ますますついています。
お腹も一杯になりさらに西へ向かいます。
今日は岡山に帰らず福山の実家に行きます。
先ほど電話した新婚の甥がお嫁さんを連れてくるとの事で会いにいきます。
でも甥は電話したときもうすぐ出ると言っていましたから
私のほうが早く着きそうです。
そして備前まで来たら一度降ります。
福山に着くのがほぼ5時になりそうなので備前から乗り換えると
後が98kmなので半額になります。
2分のロスで500円安くなります。
そして休憩と時間調節のため
地元すぎて普段行くことの無い吉備SAに入ります。
ここも2割引ですが福山でご馳走が待ち構えている予定なので我慢します。
随分走って疲れていたのでここで妻と運転を代わります。
自動車学校以来初めての高速ですが左を80kmで走れば
一般道より簡単なはずです。
ゆっくりだったので福山東には5時5分に着きました。
そして実家へは5時半前に着きました。
実家には両親と東京の姉(甥の母親)が来ています。
着くとすぐに私はビールです。
甥夫婦が着いての宴会の予行演習をしておきます。
まもなく甥から電話が入り
福山へ着いたけど一般道がすごく混んでいるとのことで
それから随分かかって到着しました。
本当に私たちはついていました。
ビールを飲み終えた頃腹に響く爆音が聞こえてきました。
雷が鳴っているような音です。
それは甥の車RX-7のエンジン音でした。 (続く)
三条通りを右折するとすぐに嵐電太秦駅です。
最初に下宿した薬局の前を通り大映通りに入りました。
そして迷うことなく左折し4年間通い慣れた店”むらさき”へ行きました。
ここにはすごい思い入れがあります。
本当に4年間通いつめました。
毎日家庭料理を食べさせてもらいました。
酒もたくさん飲みました。
カープ初優勝の時もここで友人4人と祝杯をあげました。
卒業式の日も京都最後の夜をここで飲みました。
親が電話してくるのもこの店の電話番号を教えてかけてもらいました。
”むらさき”は倒産した大映の前にあり東映の社員や俳優、大学生で賑わっていました。
お父さんは元東映の社員でお母さんと娘3人とおばさんの5人で切り盛りしていました。
末の娘はその頃高校生で学校から帰って制服のままエプロンをつけて手伝っていました。
感心な娘たちでした。
本当にアットホームな店でよくしてもらいました。
あるとき友人と2人とも金が底をつき学校に通う電車賃も無く
毎日片道1時間を歩いて学校に行っていました。
空腹で歩いて帰るうちに辛くなりおもわず”むらさき”へ電話すると
長女のお姉さんが
「タクシーに乗っておいで。」
と言いタクシーで着くと代金を払ってくれ
食事をさせてくれました。
あの時は本当に涙が出ました。
東映大道具係りの小原さんともここで知り合いになり
他の店に連れて行ってもらいご馳走になりました。
卒業のときは餞別まで頂きました。
さて”むらさき”の前まで来ましたが見当たりません。
大映の跡地は太秦中学校になっています。
記憶間違いかと考えていたらすぐ近くに居酒屋があります。
そこに行って聞いてみようとドア開けると中に仕込み中の店主がいました。
私「すみません、つかぬ事をお伺いしますがこの辺りに”むらさき”という食堂がありませんか。」
店主は少し間を置いて
「”むらさき”ならありましたがもう10年位前に閉店しましたよ。」
黙っている私に
「この店の3軒となりでしたよ。」
と教えてくれました。
礼を述べて店を出ました。
3軒隣には新しい民家が建っていました。
もちろん表札は違います。
その場所をじっと見ていると”むらさき”の風景が頭の中に蘇りました。
その時私の一つの時代が完全に終わったのだと悟ったのでした。
青春のかけらを探しに行ったのにかけらはありませんでした。
17年前仕事で京都に行ったとき”むらさき”に寄ったら覚えていてくれて歓迎してもらいました。
その時少し寂れているように思え、
客も少なかったので状況を長女のお姉さんに聞いたら
「仕方おへんえ。今時の学生さんはもっと小洒落た店に行くさかいに。」
と寂しそうに笑っていたのが思い出されます。
お姉さんは30過ぎて結婚しその時子供が来ていました。
私の長男と同じ年でした。
その時は小3でしたがもう26のはずです。
これが時代の流れなんでしょうがこの歳になっても無常は辛いものです。
いやこの歳だからだんだん辛さが増すのかも知れません。
”むらさき”をネットで調べてもわからず もやもやしていたのですが
これですっきりしました。
京都を後にします。 (続く)
大垣を朝8時に出発し高速で大津まで行きました。
京都に行くなら京都南まで行くのが普通ですが
ネットで調べたら京都南は普段の日曜でも混雑するとの事です。
午前中は入ってくる車で午後は出て行く車で大混乱が予想されるそうなので
裏技を伝授されました。
大津から山中越えといって比叡山を抜けて京都の北東から入るのです。
途中何度か道に迷いましたが何とか入洛できました。
30年前は学生だったので車で京都の町を走るのは初めてです。
大きい通りには南北とも名前が書いてあるので比較的わかりやすい町ですが
端っこは碁盤の目にはなっていないので少し戸惑いました。
それでも何とか北大路通りに入り西の金閣寺を目指します。
ところがやはり聞いていた通りでした。
右折車線は金閣寺に向かう車で渋滞です。
金閣寺前のバス停ではこれでもかと言うほど人が降りています。
これで金閣寺は諦めることにし龍安寺に向かいます。
龍安寺に行くには金閣寺前を通って行くのが最短ですが
渋滞しているので西大路通りに入り立命館の横を抜けて行こうとしました。
でもここでも迷って衣笠山に上がってしまい
歩いている人に道を教えてもらいました。
その時龍安寺(りょうあんじ)と聞いたのですが
地元の人らしきその人は”りゅうあんじ”と言っていました。
面白いもんですね。
パンフレットにはRYOUANZIと書いてありますが
地元には地元の呼び方があるのかも知れません。
龍安寺で石庭とつくばいを見て満足です。
そこから予定通り仁和寺の横を通って太秦へ向かいます。
この辺りを走ると30年前のわずかな記憶が蘇ります。
宇多野は今は無き恩師のF教授の家がありました。
何度もよばれて安酒を痛飲したところです。
そして太秦に着きました。
最初に目に飛び込んだのが映画村の駐車場です。
記憶が戻ってきます。
映画村ではローテーションで色んな仕事をしましたが
一番辛かったのがこの駐車場でした。
暇すぎてつらかったのです。
正面玄関前にも駐車場があり
そこから一杯になり それからこの離れた駐車場に誘導します。
日曜日はそれなりに仕事があるのですが平日は地獄です。
来るのは1時間に1台ぐらいの観光バスだけです。
客は正面で降りるので運転手だけです。
プロなので間単に合図するだけでさっさと停めてしまいます。
それなのに担当の社員が1人と学生バイトが2人の計3人が配置されます。
これでも儲かっていたのだからたいしたものです。
今日の駐車場は一杯で停めに来た車に満車だと断っています。
昼前なのにこの人たちは車を停めるところが無く困っていることでしょう。
この車の人たちは正面の駐車場からこちらに誘導され
そこで満車と言われるのですからどうしようもありません。
映画村の正面玄関を越えて三条通りに出るとそこに美登里食堂が見えました。
下宿して最初の頃通った食堂です。
ここで”木の葉丼”というのを知りました。
見た目は親子丼ですが鶏肉の代わりに蒲鉾を薄く切ったものが入っています。
福山にはありませんでした。
あっさりしていてそれなりの美味しさでした。
油揚げに変えると衣笠丼です。
どちらも安いのが魅力でした。
そしてもう一つ知ったのが「今出ました。」です。
食事をしていると電話が鳴り出前の催促でした。
店のおばさんは「えらい遅うなってすんません。ついさっき出ましたさかいもう着くと思います。」
と謝っています。
受話器をおいたおばさんは出前担当のおじさんに
「早う出っ。えらい怒ってはったで。」と言いました。
大人の知恵を垣間見た気がしたものです。 (続く)
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